工場廃液で汚染された川をセヤナーが埋め尽くす光景も見慣れたものとなった。
以前にはよく見られた愛護団体によるデモも、最近では本当に義心を持つ者や偏愛的なセヤナー愛好家によるものが極僅かに見られるだけだ。自分たちの暮らす環境とセヤナーの命、どちらかを選べと言われればこの結果は当然だろう。
……もっとも、この光景を目の当たりにして保護しようとする心を砕かれたからかも知れないが。
ウマイー♪ ヤーデー セマイー セヤナー ヤーデヤッデヤッデヤー♪ ウチナー! ヤー! ヤー?
川岸に立ち、川底を見下ろす。
数匹はこちらの存在に気づいたようだが、すぐに興味を失ったようで廃水を食べる作業に戻った。ほとんどのセヤナーはこちらの存在に気づいてすらいないようだ。
元々、セヤナーは警戒心が低い生物だ。今となっては捕食されることもないのだから、外敵かもしれない相手に対するこの無関心さも当然と言えば当然だろう。
なんにせよ、警戒されないのは好都合だ。これから数日にかけて、こいつらを観察しなければならないのだから。
川底を埋め尽くすこいつらが1匹残らず全滅する、その時まで。
きっかけは、某国による環境汚染が地球に深刻な影響を与えるというシミュレーション結果だった。
入念な調査の結果、すぐに何らかの対策をとらなければ今後数十年に渡り汚染された地域が出来ることが判明。
この発表はすぐに全世界に伝わった。SNSでは無責任な意見が飛び交い、テレビでは連日のように過剰に危機感を煽る報道がなされる。当事国の国民の危機感が爆発したのは、当然の結果だと言えるだろう。
調査結果の公表後もしばらくの間、政府は沈黙を貫いていた。
しかし、世論の力は強い。環境汚染対策を求める全国規模の署名活動に、大規模なデモまで発生したとあっては、流石に日和見主義の連中も重い腰を上げざるを得なかったようだ。
実際には、他国による干渉やら高度な政治判断やらが決め手になったらしいとの噂があるらしい……が、私のような末端職員にとっては道端で出くわした野良セヤナーくらいどうでも良い話だ。
この事態を収拾するべく私の勤める機関に白羽の矢が立ち、経過観察のために私が使い走りをさせられる羽目になった。それだけが私にとっては重要なことだった。
“何らかの対策”として採用されたのは、品種改良したセヤナーに汚染物質を食べさせて回収する方法だ。
これは、体内に取り込んだ食物をほぼ完全に吸収、自身の体を構成する成分に変換し、排泄を行わないセヤナーの体質を利用したものらしい。
垂れ流された廃水があるせいで環境が汚染される。それなら、廃水を食べさせてしまえば良い。
もちろん、その辺にいる普通のセヤナーに廃水を与えても食べてはくれない。
そもそも、廃水を除去しなければならないのはそれが自然にとって有害だからだ。当然セヤナーにとっても有害なわけで、普通の野良セヤナーに無理矢理食べさせれば、一口で中身を吐き出して死んでしまうだろう。
そこで品種改良の話になるわけだ。専門的なことはわからないが、要するに廃水の成分である毒を栄養として利用できるセヤナーを開発したそうだ。
この改良種は廃水を食べ、廃水を消化し、廃水からエネルギーを取り出すことができる。
これを実現したカラクリは、改良種のもつ驚異的な代謝能力にある。こいつらは食べた廃水をすぐに消化し、エネルギーを取り出して無害なものに変換することができるのだ。だから、毒を食べても死ぬことはない。
とても優れた性質のように思えるが、うまい話には裏があるものだ。この性質を獲得するため、セヤナーたちは2つの代償を支払うことになった。
1つ目は、他の食物を体が受け付けなくなったことだ。
廃水という特殊すぎる食物を消化できる代わりに、その他一切の食物を消化できなくなってしまっていた。つまり、正確に言えばこいつらは“廃水を食べることができる”セヤナーでは無く“廃水しか食べられない”セヤナーなのだ。味覚も変化しているらしいが、これらは大した問題ではない。
2つ目の、そして最大の代償が、エネルギーの消費効率、つまり燃費が極めて悪いことだ。具体的には、活動状態で数時間なにも食べなければ餓死してしまう。冷凍処理をして冬眠状態に入れば一応長期間の生存は可能だが、活動している間は常に食べ続けなければ生きていられない。
もはや生物として破綻したその燃費の悪さは、こいつらをただ食べるために生きる存在に成り下がらせていた。
改良種にはもう1つ、通常の野良セヤナーにはない性質がある。それは、こいつらは過分裂型であるということだ。
一般的に、セヤナーは1度の分裂で1匹の子セヤナーを生むことで増殖する。だが、これでは増殖率が悪く、十分な成果が得られないらしい。それを解消するため、1度の分裂で10匹に分裂できるように改良がなされている。
これらの改良が加えられたセヤナーを使うことで、問題なく汚染物質の除去が可能である……と、国民はこのような説明を受け、そして信じている。
だが、関係者である私はこの説明の中に1点だけ嘘があることを知っている。
実は、エネルギーを取り出された後の廃水は“無害なもの”になるのではなく“セヤナーにとって無害なもの”になるのだ。
つまり、確かに地上の汚染は消えていくが、それは消滅しているわけでは無く、セヤナーの体内にその場所を移しただけである。
今のセヤナーたちは、例えるならフグのようなものだ。毒のあるものを食べることで体に毒を蓄える。
この地域には野生動物が少なからず存在しているが、セヤナーたちが補食されない理由はここにある。
この計画に携わった開発部の友人から、完全に廃水を無毒化できるセヤナーだって作れたと愚痴を聞かされたことがある。
何故、わざわざこのような仕様にしたのか。何故、それを隠しているのか。
なんとなく理由は分かるのだが、やはり私にとってはどうでも良い話だ。
結果から言えば、この計画は見事に成功した。
汚染地域に放った品種改良セヤナーは想像以上の成果を上げたのだ。完璧と言って良い。
セヤナーたちは廃水を栄養として成長、数を増やす。増えたセヤナーたちがさらに廃水を吸収する。毒を取り込み続けているセヤナーたちの寿命は僅か1週間足らずだが、1匹が死ぬ前に10匹の子セヤナーを生む。
最初に放たれたセヤナーはたった10匹だったが、今では汚染された川の全部を埋め尽くすほどに増殖していた。
ウマイー ヤーデー エビフライー ウチナー! ヤー! ヨコセー ヤメテー……ドウシテー…… セヤナー
少し距離の離れた川岸にすら臭う強烈な異臭、その発生源をうまそうに笑顔で貪っているセヤナーたち。
どの個体を見ても同じで、美味しそうに廃水を食べている。
全身のどこからでも食事できるようになっているらしいが、どいつも口から廃水を取り込んでいるのは本能が理由だろうか。
廃水は水たまりのように点在している。そこに向かって大量のセヤナーが我先にと口をつけている。その様は、例えるなら虫に群がる蟻のように、あるいは腐肉に湧いた蛆のように見えた。
土に染み込んだ廃水を土ごと飲み込んでいる個体がいる。土は消化できないため、ある程度食べたら土だけまとめて吐き出していた。
吐き出した土の中にもまだ廃水が残っていたのだろう。別のセヤナーが吐き出された土を食べている。
悍ましい。一言で表現するなら、この言葉が似合う光景だ。
いや、人類のために働いてくれている生物に、そんなことを言っては失礼か。
心の中で自分をたしなめながら、この光景を記録していく。全てが終わった後、これらのデータをまとめてレポートを作成し提出する必要があるからだ。
私は簡単なメモを書きながら、この場を後にした。
ゴハンー アラヘンー オナカー スイター ヤー…… セヤナー ナンデー ヤデー…… ハラペコー ヤーデー
観察を始めてから数日、ずっと食べてばかりだったセヤナーたちに変化が訪れた。
何が起こったのかは鳴き声で分かる。ついに、食料が無くなったのだ。
先にも書いたが、このセヤナーたちは“廃水を食べることができる”セヤナーでは無い。“廃水しか食べられない”セヤナーだ。
この川を汚染した工場はすでに稼働していない。つまり、いずれは食料が無くなり、飢えることは分かっていた。
飢えた生物が取れる手段は2つ。そのまま餓死するか、新しい食料を見つけるかだ。
このセヤナーたちに限って言えば、餓死を選ぶ個体は居ないと断言できる。理由は単純で、生存本能が強いからだ。
これは別にそのような性格を意図して作ったわけでは無く、副産物のようなものらしい。毒である廃水を啜ってでも生きようとするほど生に執着する個体だから、自ら死を選ぶという発想が出来ないのだという。
例え、その結果どんなにつらいことになるとしても、だ。
とにかく、餓死は選ばない。となれば生きるためには何か栄養になるものを食べる必要がある。
だが、新しい食性を得るというのは簡単なことではない。繰り返すが、こいつらは廃水しか食べられないセヤナーだ。それは単に好き嫌い激しいとか、偏食であることとはわけが違う。
人間が木の成分であるセルロースを消化できないように、セヤナーたちは廃水以外を消化することができない。
あり得ないことだが、仮にエビフライを食べさせたとしよう。一旦は喜んで食べるだろうが、体が受け付けないからすぐに吐き出すことになる。
言ってみれば、肉食動物に植物だけを食べて生きろと言うようなものだ。消化が出来ない以上、どんなに食べてもそう遠くない未来に餓死することになる。
本来、新しい食生の獲得は長い時間をかけた進化の過程で行われるものだ。だが、異常な代謝と引き換えにセヤナーたちの燃費は極めて悪い。数時間何も食べなければ餓死してしまうその体は、新しい食生の開発を許しはしない。
結果的に、セヤナーたちにはこの選択肢はそもそも存在しなかったということになる。
餓死は出来ない。だが、別の食糧を食べられる体になるには時間が足りない。必然的に、セヤナーたちは第3の、禁断の選択をすることになった。
現時点で、廃水に最も近いものを多く含んだ食料。それは、同族であるセヤナーたちの体だ。
餓死という形を持った死への恐怖は、同族喰いという禁忌をセヤナーたちに選ばせた。
ヤアアアア! イタイイイイイ!
ウマイイイイイ! メッチャ ウマイイイイイ!
1匹のセヤナーが苦痛の悲鳴を上げ、1匹のセヤナーが歓喜の歓声を上げた。
それが、最後の晩餐の合図となった。
さっきまで共に同じ食料を食べていた仲間たち、今はそれらが食料だ。食わなければ餓死するし、それ以前に自分が食われる。さらに、ためらっている間にも体は餓死へと向かっていく。
悩む時間すらセヤナーたちには存在しなかった。
大きい個体ほど多くの廃水を溜め込んでいることは、セヤナーたちにも分かるのだろう。最初は肥満型のセヤナーから食われはじめた。
無論、黙って食われるわけもなく必死に抵抗しているが、有毒な廃水を他の個体より多く取り込んでいるのだ。思うように体が動かないことが見て取れる。
体をゆすり、群がってくるセヤナーの数匹を弾き飛ばしたが、そこで動きが止まった。
ヤッ、ヤメテー…… タベナイデー……
図体に似合わずか細い鳴き声は、すぐに大勢の歓喜の声に掻き消され聞こえなくなった。
見回せば、共食いの波はセヤナーたち全体に広がっていた。
必死の形相で互いを食い合うセヤナーたちがいる。分裂したばかりの姉妹なのだろう、子セヤナーを食べながら廃水の涙を流す子セヤナーがいる。複数のセヤナーに集られて虚ろな目をした肥満型セヤナーがいる。
ヤメテー…… ドウシテ ウチナー……
その疑問は、死んでも分かることはないだろう。
何もおかしなことはない。
最初からこうなるように造られていた。それだけ。
ただ、それだけのことだ。
早朝に始まったセヤナーたちの共食いは、太陽が西の空から地平線に沈もうとする頃にはほぼ終わりかけていた。
赤く照らされた川底には、もう数十匹程度しか残っていない。つい数時間前まで、川底が見えないほどにセヤナーで埋め尽くされていたなど誰も信じないだろう。
セヤナーたちの共食いは、より多くのセヤナーがいる場所を中心として円状に進行する。内側に向かい、円周を縮めるように食い合っていき、最後には円の中心に食い残った一匹が残ることになる。
連絡によると、ここ以外の場所ではすでに共食いが終わり、食い残された個体も回収済みだそうだ。
共食いの末に生き残ったセヤナーは回収するよう命じられている。毒を溜め込んだセヤナーを食べることは、単に廃水を啜るよりも危険な行為となる。セヤナーの体内に濃縮されている毒を吸収することになるからだ。
当然、他のセヤナー全ての毒を溜め込んだ生き残りの体内にはとてつもない濃度の毒が存在することになる。異常な代謝により食べたセヤナーのほとんどを吸収するため体の大きさは最大でも成人男性程度のサイズにしかならないが、その中身は全くの別物だと考えて良い。
生体濃縮が極限まで進んだセヤナーは、そのまま放置すれば死んだ際、体が解けて溜め込んだ毒が辺りに撒き散らされることになる。
それは、再び汚染が始まるということだ。それだけは絶対に阻止しなければならない。だから回収することは理にかなっている、のだが……
(きっと、この汚染が濃縮されたセヤナーの回収が今回の計画の最終目標なんだろうな。)
間違っても口には出せないセリフを思考の中で噛み潰す。知る必要のないことだし、知るべきでもないことだ。
そんなことを考えている間に、この場所の決着がもうすぐつきそうだ。あれだけの大質量が、今はたった2匹のセヤナーだけになってしまった。どちらも体長は優に1mは超えている。体内に廃液の毒をたっぷりと蓄えているのが見て取れた。
両者は同時に動いた。互いに噛みつき、互いに食い合う。すでに両者ともに傷だらけで、本当は動くのも一苦労だろう。だが、生存本能は諦めることを許さない。
ついに、片方のセヤナーが息絶えた。すかさずもう片方が頭からかじつき、歓喜の鳴き声を叫んだ。
ウ、ウマイイイイイイ!
食い残ったセヤナーはゆっくりと、本当にゆっくりとした動きで最後の食糧を食べている。
きっと、あれ以上の動きでは動けないんだろうとな。その光景を見ながら、なんとなく思った。
シアワセー メッチャ…… シアワセー
数え切れないほど大勢いた仲間たちがいなくなり、たった1匹残った仲間を食べる。それがどんな感覚かはわからない。
だが、セヤナーは幸せだと言いながら食べた。食べに食べて、一欠片も残すことなく完食した。
ゴチソーサマ ヤーデー
誰もいない川底で、誰に言うでもなく鳴いたセヤナーは、そのままゆっくりと目をつむり、セヤセヤと眠り始めた。
食欲が満たされたのか、あるいはもう本当に何も食べられるものがなくなったことを悟ったのか、それは、あのセヤナーにしか分からないことだろう。
後の作業はすぐに終わった。回収班を手配し、ヘリで運ばれてきた大きなゴンドラに生き残ったセヤナーが乗せられるのを確認する。ちなみに、このゴンドラは冷凍機能付きだ。
回収班の職員達は、皆が物々しい防毒装備を身につけていた。それだけ、この眠ってるセヤナーが危険だということだろう。
作業の間、セヤナーは麻酔を使われているわけでも無いのに起きることはなかった。もしかしたら、もう起きることも出来ないのかもしれないな。
飛んでいくヘリを見送り、調査のために設置した仮設テントや設備を片付け終わった私は、ほどなくして到着した迎えの車に乗り込んだ。後は報告書を作成し、本社で提出してチェックしてもらえば任務完了だ。
動き出した車に揺られながら、窓の外に見えるセヤナーたちがいた川をなんとなく眺めた。
そこには、知らなければかつて汚染されていたとは気づけないほど廃水のカケラもなかった。ただ、綺麗になった川底だけが静かに横たわっている。
全てが終わった。汚染も、そしてセヤナーも消えて無くなった。
上流でせき止めていた水が放水されれば、かつての美しい自然が戻ることだろう。
以前にはよく見られた愛護団体によるデモも、最近では本当に義心を持つ者や偏愛的なセヤナー愛好家によるものが極僅かに見られるだけだ。自分たちの暮らす環境とセヤナーの命、どちらかを選べと言われればこの結果は当然だろう。
……もっとも、この光景を目の当たりにして保護しようとする心を砕かれたからかも知れないが。
ウマイー♪ ヤーデー セマイー セヤナー ヤーデヤッデヤッデヤー♪ ウチナー! ヤー! ヤー?
川岸に立ち、川底を見下ろす。
数匹はこちらの存在に気づいたようだが、すぐに興味を失ったようで廃水を食べる作業に戻った。ほとんどのセヤナーはこちらの存在に気づいてすらいないようだ。
元々、セヤナーは警戒心が低い生物だ。今となっては捕食されることもないのだから、外敵かもしれない相手に対するこの無関心さも当然と言えば当然だろう。
なんにせよ、警戒されないのは好都合だ。これから数日にかけて、こいつらを観察しなければならないのだから。
川底を埋め尽くすこいつらが1匹残らず全滅する、その時まで。
きっかけは、某国による環境汚染が地球に深刻な影響を与えるというシミュレーション結果だった。
入念な調査の結果、すぐに何らかの対策をとらなければ今後数十年に渡り汚染された地域が出来ることが判明。
この発表はすぐに全世界に伝わった。SNSでは無責任な意見が飛び交い、テレビでは連日のように過剰に危機感を煽る報道がなされる。当事国の国民の危機感が爆発したのは、当然の結果だと言えるだろう。
調査結果の公表後もしばらくの間、政府は沈黙を貫いていた。
しかし、世論の力は強い。環境汚染対策を求める全国規模の署名活動に、大規模なデモまで発生したとあっては、流石に日和見主義の連中も重い腰を上げざるを得なかったようだ。
実際には、他国による干渉やら高度な政治判断やらが決め手になったらしいとの噂があるらしい……が、私のような末端職員にとっては道端で出くわした野良セヤナーくらいどうでも良い話だ。
この事態を収拾するべく私の勤める機関に白羽の矢が立ち、経過観察のために私が使い走りをさせられる羽目になった。それだけが私にとっては重要なことだった。
“何らかの対策”として採用されたのは、品種改良したセヤナーに汚染物質を食べさせて回収する方法だ。
これは、体内に取り込んだ食物をほぼ完全に吸収、自身の体を構成する成分に変換し、排泄を行わないセヤナーの体質を利用したものらしい。
垂れ流された廃水があるせいで環境が汚染される。それなら、廃水を食べさせてしまえば良い。
もちろん、その辺にいる普通のセヤナーに廃水を与えても食べてはくれない。
そもそも、廃水を除去しなければならないのはそれが自然にとって有害だからだ。当然セヤナーにとっても有害なわけで、普通の野良セヤナーに無理矢理食べさせれば、一口で中身を吐き出して死んでしまうだろう。
そこで品種改良の話になるわけだ。専門的なことはわからないが、要するに廃水の成分である毒を栄養として利用できるセヤナーを開発したそうだ。
この改良種は廃水を食べ、廃水を消化し、廃水からエネルギーを取り出すことができる。
これを実現したカラクリは、改良種のもつ驚異的な代謝能力にある。こいつらは食べた廃水をすぐに消化し、エネルギーを取り出して無害なものに変換することができるのだ。だから、毒を食べても死ぬことはない。
とても優れた性質のように思えるが、うまい話には裏があるものだ。この性質を獲得するため、セヤナーたちは2つの代償を支払うことになった。
1つ目は、他の食物を体が受け付けなくなったことだ。
廃水という特殊すぎる食物を消化できる代わりに、その他一切の食物を消化できなくなってしまっていた。つまり、正確に言えばこいつらは“廃水を食べることができる”セヤナーでは無く“廃水しか食べられない”セヤナーなのだ。味覚も変化しているらしいが、これらは大した問題ではない。
2つ目の、そして最大の代償が、エネルギーの消費効率、つまり燃費が極めて悪いことだ。具体的には、活動状態で数時間なにも食べなければ餓死してしまう。冷凍処理をして冬眠状態に入れば一応長期間の生存は可能だが、活動している間は常に食べ続けなければ生きていられない。
もはや生物として破綻したその燃費の悪さは、こいつらをただ食べるために生きる存在に成り下がらせていた。
改良種にはもう1つ、通常の野良セヤナーにはない性質がある。それは、こいつらは過分裂型であるということだ。
一般的に、セヤナーは1度の分裂で1匹の子セヤナーを生むことで増殖する。だが、これでは増殖率が悪く、十分な成果が得られないらしい。それを解消するため、1度の分裂で10匹に分裂できるように改良がなされている。
これらの改良が加えられたセヤナーを使うことで、問題なく汚染物質の除去が可能である……と、国民はこのような説明を受け、そして信じている。
だが、関係者である私はこの説明の中に1点だけ嘘があることを知っている。
実は、エネルギーを取り出された後の廃水は“無害なもの”になるのではなく“セヤナーにとって無害なもの”になるのだ。
つまり、確かに地上の汚染は消えていくが、それは消滅しているわけでは無く、セヤナーの体内にその場所を移しただけである。
今のセヤナーたちは、例えるならフグのようなものだ。毒のあるものを食べることで体に毒を蓄える。
この地域には野生動物が少なからず存在しているが、セヤナーたちが補食されない理由はここにある。
この計画に携わった開発部の友人から、完全に廃水を無毒化できるセヤナーだって作れたと愚痴を聞かされたことがある。
何故、わざわざこのような仕様にしたのか。何故、それを隠しているのか。
なんとなく理由は分かるのだが、やはり私にとってはどうでも良い話だ。
結果から言えば、この計画は見事に成功した。
汚染地域に放った品種改良セヤナーは想像以上の成果を上げたのだ。完璧と言って良い。
セヤナーたちは廃水を栄養として成長、数を増やす。増えたセヤナーたちがさらに廃水を吸収する。毒を取り込み続けているセヤナーたちの寿命は僅か1週間足らずだが、1匹が死ぬ前に10匹の子セヤナーを生む。
最初に放たれたセヤナーはたった10匹だったが、今では汚染された川の全部を埋め尽くすほどに増殖していた。
ウマイー ヤーデー エビフライー ウチナー! ヤー! ヨコセー ヤメテー……ドウシテー…… セヤナー
少し距離の離れた川岸にすら臭う強烈な異臭、その発生源をうまそうに笑顔で貪っているセヤナーたち。
どの個体を見ても同じで、美味しそうに廃水を食べている。
全身のどこからでも食事できるようになっているらしいが、どいつも口から廃水を取り込んでいるのは本能が理由だろうか。
廃水は水たまりのように点在している。そこに向かって大量のセヤナーが我先にと口をつけている。その様は、例えるなら虫に群がる蟻のように、あるいは腐肉に湧いた蛆のように見えた。
土に染み込んだ廃水を土ごと飲み込んでいる個体がいる。土は消化できないため、ある程度食べたら土だけまとめて吐き出していた。
吐き出した土の中にもまだ廃水が残っていたのだろう。別のセヤナーが吐き出された土を食べている。
悍ましい。一言で表現するなら、この言葉が似合う光景だ。
いや、人類のために働いてくれている生物に、そんなことを言っては失礼か。
心の中で自分をたしなめながら、この光景を記録していく。全てが終わった後、これらのデータをまとめてレポートを作成し提出する必要があるからだ。
私は簡単なメモを書きながら、この場を後にした。
ゴハンー アラヘンー オナカー スイター ヤー…… セヤナー ナンデー ヤデー…… ハラペコー ヤーデー
観察を始めてから数日、ずっと食べてばかりだったセヤナーたちに変化が訪れた。
何が起こったのかは鳴き声で分かる。ついに、食料が無くなったのだ。
先にも書いたが、このセヤナーたちは“廃水を食べることができる”セヤナーでは無い。“廃水しか食べられない”セヤナーだ。
この川を汚染した工場はすでに稼働していない。つまり、いずれは食料が無くなり、飢えることは分かっていた。
飢えた生物が取れる手段は2つ。そのまま餓死するか、新しい食料を見つけるかだ。
このセヤナーたちに限って言えば、餓死を選ぶ個体は居ないと断言できる。理由は単純で、生存本能が強いからだ。
これは別にそのような性格を意図して作ったわけでは無く、副産物のようなものらしい。毒である廃水を啜ってでも生きようとするほど生に執着する個体だから、自ら死を選ぶという発想が出来ないのだという。
例え、その結果どんなにつらいことになるとしても、だ。
とにかく、餓死は選ばない。となれば生きるためには何か栄養になるものを食べる必要がある。
だが、新しい食性を得るというのは簡単なことではない。繰り返すが、こいつらは廃水しか食べられないセヤナーだ。それは単に好き嫌い激しいとか、偏食であることとはわけが違う。
人間が木の成分であるセルロースを消化できないように、セヤナーたちは廃水以外を消化することができない。
あり得ないことだが、仮にエビフライを食べさせたとしよう。一旦は喜んで食べるだろうが、体が受け付けないからすぐに吐き出すことになる。
言ってみれば、肉食動物に植物だけを食べて生きろと言うようなものだ。消化が出来ない以上、どんなに食べてもそう遠くない未来に餓死することになる。
本来、新しい食生の獲得は長い時間をかけた進化の過程で行われるものだ。だが、異常な代謝と引き換えにセヤナーたちの燃費は極めて悪い。数時間何も食べなければ餓死してしまうその体は、新しい食生の開発を許しはしない。
結果的に、セヤナーたちにはこの選択肢はそもそも存在しなかったということになる。
餓死は出来ない。だが、別の食糧を食べられる体になるには時間が足りない。必然的に、セヤナーたちは第3の、禁断の選択をすることになった。
現時点で、廃水に最も近いものを多く含んだ食料。それは、同族であるセヤナーたちの体だ。
餓死という形を持った死への恐怖は、同族喰いという禁忌をセヤナーたちに選ばせた。
ヤアアアア! イタイイイイイ!
ウマイイイイイ! メッチャ ウマイイイイイ!
1匹のセヤナーが苦痛の悲鳴を上げ、1匹のセヤナーが歓喜の歓声を上げた。
それが、最後の晩餐の合図となった。
さっきまで共に同じ食料を食べていた仲間たち、今はそれらが食料だ。食わなければ餓死するし、それ以前に自分が食われる。さらに、ためらっている間にも体は餓死へと向かっていく。
悩む時間すらセヤナーたちには存在しなかった。
大きい個体ほど多くの廃水を溜め込んでいることは、セヤナーたちにも分かるのだろう。最初は肥満型のセヤナーから食われはじめた。
無論、黙って食われるわけもなく必死に抵抗しているが、有毒な廃水を他の個体より多く取り込んでいるのだ。思うように体が動かないことが見て取れる。
体をゆすり、群がってくるセヤナーの数匹を弾き飛ばしたが、そこで動きが止まった。
ヤッ、ヤメテー…… タベナイデー……
図体に似合わずか細い鳴き声は、すぐに大勢の歓喜の声に掻き消され聞こえなくなった。
見回せば、共食いの波はセヤナーたち全体に広がっていた。
必死の形相で互いを食い合うセヤナーたちがいる。分裂したばかりの姉妹なのだろう、子セヤナーを食べながら廃水の涙を流す子セヤナーがいる。複数のセヤナーに集られて虚ろな目をした肥満型セヤナーがいる。
ヤメテー…… ドウシテ ウチナー……
その疑問は、死んでも分かることはないだろう。
何もおかしなことはない。
最初からこうなるように造られていた。それだけ。
ただ、それだけのことだ。
早朝に始まったセヤナーたちの共食いは、太陽が西の空から地平線に沈もうとする頃にはほぼ終わりかけていた。
赤く照らされた川底には、もう数十匹程度しか残っていない。つい数時間前まで、川底が見えないほどにセヤナーで埋め尽くされていたなど誰も信じないだろう。
セヤナーたちの共食いは、より多くのセヤナーがいる場所を中心として円状に進行する。内側に向かい、円周を縮めるように食い合っていき、最後には円の中心に食い残った一匹が残ることになる。
連絡によると、ここ以外の場所ではすでに共食いが終わり、食い残された個体も回収済みだそうだ。
共食いの末に生き残ったセヤナーは回収するよう命じられている。毒を溜め込んだセヤナーを食べることは、単に廃水を啜るよりも危険な行為となる。セヤナーの体内に濃縮されている毒を吸収することになるからだ。
当然、他のセヤナー全ての毒を溜め込んだ生き残りの体内にはとてつもない濃度の毒が存在することになる。異常な代謝により食べたセヤナーのほとんどを吸収するため体の大きさは最大でも成人男性程度のサイズにしかならないが、その中身は全くの別物だと考えて良い。
生体濃縮が極限まで進んだセヤナーは、そのまま放置すれば死んだ際、体が解けて溜め込んだ毒が辺りに撒き散らされることになる。
それは、再び汚染が始まるということだ。それだけは絶対に阻止しなければならない。だから回収することは理にかなっている、のだが……
(きっと、この汚染が濃縮されたセヤナーの回収が今回の計画の最終目標なんだろうな。)
間違っても口には出せないセリフを思考の中で噛み潰す。知る必要のないことだし、知るべきでもないことだ。
そんなことを考えている間に、この場所の決着がもうすぐつきそうだ。あれだけの大質量が、今はたった2匹のセヤナーだけになってしまった。どちらも体長は優に1mは超えている。体内に廃液の毒をたっぷりと蓄えているのが見て取れた。
両者は同時に動いた。互いに噛みつき、互いに食い合う。すでに両者ともに傷だらけで、本当は動くのも一苦労だろう。だが、生存本能は諦めることを許さない。
ついに、片方のセヤナーが息絶えた。すかさずもう片方が頭からかじつき、歓喜の鳴き声を叫んだ。
ウ、ウマイイイイイイ!
食い残ったセヤナーはゆっくりと、本当にゆっくりとした動きで最後の食糧を食べている。
きっと、あれ以上の動きでは動けないんだろうとな。その光景を見ながら、なんとなく思った。
シアワセー メッチャ…… シアワセー
数え切れないほど大勢いた仲間たちがいなくなり、たった1匹残った仲間を食べる。それがどんな感覚かはわからない。
だが、セヤナーは幸せだと言いながら食べた。食べに食べて、一欠片も残すことなく完食した。
ゴチソーサマ ヤーデー
誰もいない川底で、誰に言うでもなく鳴いたセヤナーは、そのままゆっくりと目をつむり、セヤセヤと眠り始めた。
食欲が満たされたのか、あるいはもう本当に何も食べられるものがなくなったことを悟ったのか、それは、あのセヤナーにしか分からないことだろう。
後の作業はすぐに終わった。回収班を手配し、ヘリで運ばれてきた大きなゴンドラに生き残ったセヤナーが乗せられるのを確認する。ちなみに、このゴンドラは冷凍機能付きだ。
回収班の職員達は、皆が物々しい防毒装備を身につけていた。それだけ、この眠ってるセヤナーが危険だということだろう。
作業の間、セヤナーは麻酔を使われているわけでも無いのに起きることはなかった。もしかしたら、もう起きることも出来ないのかもしれないな。
飛んでいくヘリを見送り、調査のために設置した仮設テントや設備を片付け終わった私は、ほどなくして到着した迎えの車に乗り込んだ。後は報告書を作成し、本社で提出してチェックしてもらえば任務完了だ。
動き出した車に揺られながら、窓の外に見えるセヤナーたちがいた川をなんとなく眺めた。
そこには、知らなければかつて汚染されていたとは気づけないほど廃水のカケラもなかった。ただ、綺麗になった川底だけが静かに横たわっている。
全てが終わった。汚染も、そしてセヤナーも消えて無くなった。
上流でせき止めていた水が放水されれば、かつての美しい自然が戻ることだろう。
このページへのコメント
情景がありありと想像できるいい描写でした。
残ったセヤナーは、そのまま軍事目的か何かに使われるんですかね。ちょっと違うけど生物兵器みたいな。区別のためにセ異物兵器とでも呼ばれそう。
まるで蠱毒ですね。
品種改良で廃水を食べるセヤナーを作り出すというのも面白い考えだと感じました。
今までセヤナー、セ虐作品に出てきた「水」「排泄を行わない」「共食い」というワードに「生体濃縮」を組み合わせるアイデアも凄かったです。