「今年ももうすぐ終わりやな〜」
「セヤナー」
こたつに入りみかんの皮を剥きながらつぶやく私の声に、こたつの上で剥かれたみかんの皮を食べていたセヤナーが返事をする。みかんを一回り大きくしたサイズのセヤナーは、体のどこにそんなスペースがあるのかとツッコミたくなる勢いでみかんの皮を食べていた。時々、ウマイーと感想を言うのも忘れない。
テレビでは年末特有の年越しお笑い番組が流れており、名前は知らないがよくテレビで見るお笑い芸人がネタを披露していた。締め切った窓の外はすでに暗く、しんと静まり返っている。きっと、私と同じようにみんな家でテレビでも見ながらくつろいでいるのだろう。なんせ今日は12月31日、大晦日なのだから。
「あら、無くなってもうたか」
「ヤデー……」
こたつの人を飲み込んで離さない魔力は、みかんを装備することでその力を増す。テレビのお供にと時間を忘れて一心不乱に食べていた結果、山盛りに置かれていたみかんの山は更地へとなり果てていた。よく見ると、セヤナーの体が少し大きくなっていつもより丸みを帯びている。みかんの皮をすべて平らげたからだろう。食い意地の張った奴だ。いや、良いことだけども。
確か、実家から送られてきたみかんのストックはまだまだ大量にあったはずだ。こたつから離れるのは正直イヤだが、何も食べずにこのままテレビを見続けるのも手元と口元が寂しい。仕方ない、取りに行こう。よっこいせとこたつから抜け出た私は、そこでふと動きを止めた。私の目には丸くなったセヤナーが映っている。視線に気づいたのだろう。ヤー? と、不思議そうに私を見つめてくる。セヤナーから視線をはずし、テレビを見た。いつの間にかネタを披露しているお笑い芸人が変わっているが、現在時刻の表示はさっきまでと変わらずテレビの左上に表示されていた。
「あと30分か」
現在時刻は11時30分。ちょうどよい時間かもしれない。私は、行き先をみかんの入ったダンボールからキッチンへと変更した。
事前にほとんどの仕込みを済ませていたため、準備はすぐに完了した。大晦日に縁起を担いで食べる、歳末の日本の風物詩。今年一年の災厄を断ち切るという意味が込められた縁起物。年越しそばだ。家によって食べるタイミングが異なるらしいが、うちの家系では年を越しながら食べるのが伝統らしい。夜型人間の私のとっては、普段は食べないちょっと贅沢なお夜食と言ったところだ。まあ、贅沢と言っても例年は具が一切入っていない素うどんならぬ素そばだったが。
「ウチナー! ウチモナー! タベタイ ヤデー!」
お鍋からおそばを丼によそったとき、私の足元からセヤナーの猛烈なアピールが聞こえてきた。見ると、さっきまでこたつの上にいたセヤナーが私を見上げている。いつの間にか、キッチンに入ってきてしまったらしい。すでに体型が変わるほどみかんの皮を食べたというのに、まだ食べたいようだ。まあ、同じ量のみかんの、しかも中身を食べていた私が言えた義理ではないけども。だが、これを食べさせると言うのはできない相談だ。
「あかんよ。これは年越しそばなんやから。あんたは食べられへんで」
「ナンデー ウチナー ソバアレルギー チャウデー!」
どこでそんな知識を身につけてくるんだとツッコミたくなったが、セヤナーを常識の枠に押し込もうとすることがどれだけ無駄なことなのかはよく分かっている。そういうものだと受け入れるのが賢い判断と言うものだ。
「あんな、これはうちのお夜食やねん。あんたにあげる残飯とちゃうんや」
「デモ……デモ…… ウチモー タベタイー」
薄々食べさせてもらえないことを感じているのか、弱気になりつつなおも食い下がるセヤナー。なんだか可哀想になってきたし、これが普通のおそばならちょっとくらいは分けてあげても良いかなと思ってしまう。いやいや、そうやって甘やかすから今みたいに粘られてしまうんだろう。次のセヤナーはもっと厳しく躾ないといけないな。
「ええ加減にしとき。あかんもんはあかんねん。大体あんた、
年越されへんやん」
ピタッという擬音が似合いそうなほどきれいに、セヤナーの動きが停止した。人間も急に理解できない状況に直面したら思考が停止するが、どうやらセヤナーでも同じらしい。頭の上に?マークが見える気すらする。
「ヤ、ヤー? ……ナンデー?」
絞り出すような声で紡がれた疑問は、確かにもっともなものだった。でもまあ、わざわざ答える必要もないだろう。その理由は、これから身を持って知ることになるのだから。
私は屈み込み、そっとセヤナーを両手ですくい上げるように持って立ち上がった。急に持ち上げられたセヤナーは少し驚いたようだったが、何か勘違いしているのだろう、ヤデヤデーとご機嫌に鳴き始めた。そんなセヤナーを流し台に置き、蛇口をひねった。
「ヤッ! ツメタイー…… ヤー オミズー ヤデー♪」
体にかかった冷水について一瞬驚いたようだが、特に嫌がることなく自ら水をかぶり始めたセヤナーを手際良く洗う。あまり時間をかけるとセヤナーが水分を吸収してしまうから、ここは時間との勝負だ。洗い終わったセヤナーはキッチンペーパーで水気を拭き、まな板の上に載せた。
「オミズー モットー!」
なんだか抗議しているが、構っている暇はない。油の温度を音で確認しながら、セヤナーに小麦粉をすりこむ。
「ケホッ ケホッ ヤメテー クルシケホッ 」
小麦粉が入ったらしく、むせているようだがお構いなしに溶き卵にくぐらせた。口が卵でふさがったのか、セヤナーの声も聞こえなくなった。この小麦粉と溶き卵をつける作業をもう一度行い、最後にパン粉を中が見えなくなるまでまぶせば準備OKだ。油の温度は……よし、170度ジャスト!多分!
パン粉の塊と化したセヤナーを衣がはがれないよう慎重に持ち上げ、油が煮えたぎった鍋の前に移動する。なんで年越しそばを食べられないか、今から分かるよ。心の中でそう話しかけ、セヤナーを油の中にそっと落とした。
瞬間、今までふるえる程度の動きしかしていなかったセヤナーの体が激しくふるえた。
「アアアアアーーーーー! ヤアアアアアアアア!」
口を覆っていた衣がはがれたらしく、セヤナーの大きな鳴き声が室内に響く。熱した油の中にいるのだから、そりゃあそんな声も出るだろう。だが、鳴き声はそう長くは続かなかった。熱に強い野生種ならいざ知らず、品種改良されたセヤナーは熱に対して強くはない。沸騰した水程度なら耐えられても、170度の油の中ではさすがに生きてはいられない。鳴き声が消えた代わりに、今度はジュワジュワと衣が揚がる音が聞こえてくる。何とも食欲のそそる音だ。衣がきれいなきつね色になったのを見計らい、油から取りだしキッチンペーパーの上に置いた。程良く油を切って、さっき作った素そばに乗せて、私特製年越しセヤフライそばの完成だ。
作ったおそばを持って再びこたつに入る。さっきまでこたつの上にいたピンク色がいないのは少し寂しいが、どうせ明日になればまた新しいのを買うのだ。少しくらいは我慢しないといけないよね。そんなことより、今は作ったお蕎麦を早く食べたい。まずはセヤフライを一口かじる。さくっとした衣の中は、身の詰まったエビのような触感がした。うん、ちゃんと美味しく作れてる。死ぬと脱色融解するセヤナーだが、今食べているこのタイプは高温の油でしっかり火を通せば固まって中身が融けて出てくることはない。もちろん、火が通るまでは形が崩れないよう衣で覆うのが重要だ。口の中に味が残っているうちにおそばを一口。やっぱりおいしい。想像通りの味を作れたことに、思わずほうっと息がでる。妹からは、おそばにはエビ天だろうといつも言われるが、私はエビフライが好きなんだから仕方がない。
私がこの商品のことを知ったのは去年の夏頃のことだった。巷ではセヤナーの発見とペット化がものすごいスピードで行われ、いつの間にか日常の中にピンク色が動き回る光景が当たり前のものになっていた。それだけならば単にペットショップに並ぶケージの種類が1つ増えるだけの話だが、どうやらそれだけで済ますのは勿体ないと思った人がいたらしい。いつの間にか、セヤナーは食品売場やキッチン用品売場にも並ぶようになっていた。私が食べているこれも、元はキッチン用品売り場で買ったものだ。
コンポスト兼食用セヤナーエビフライ味。それが、私が今食べているセヤナーの商品名だった。
コンポストと言えば、家庭ででた生ゴミを堆肥にするあれのことを想像するかもしれない。だが、これは少し性質が違う。詳しいことは知らないが、元々何でも食べるセヤナーを、更に何でもかんでも食べられるように改良したものらしい。実際、うちでも野菜くずや消費期限の切れた生肉、みかんの皮などを処理させていた。正直、かなり便利だ。ゴミを処理させていた生き物を食べるなんて……と思われるかもしれないが、私はこのセヤナーに食べ物しか与えていない。言ってみれば、雑草を食べて育った牛の肉を食べるのと同じ……だと、思っている。そういうものだと受け入れるのが賢い判断と言うものだろう。とは言え、やはり一般的に食べるのは抵抗があるらしい。食品売場ではなくキッチン用品売場で売られていたのは、つまりそういうことなんだろう。かなり安かったし。
ゴーン ゴーン ゴーン
遠くで鐘の音が聞こえてきた。ふとテレビで時間を確認すると、いつの間にか時刻は0時0分になっている。どうやら、年が明けたようだ。テレビの中では、出演しているお笑い芸人たちが年が明けたことを過剰に祝っている。それを見ながらちゅるちゅるとおそばをすする。程なくして、丼の中は空になった。
テレビが見やすいよう、体を横にしてこれからのことを考える。とりあえず、明日は新しいコンポスト兼食用セヤナーを買いに行かなければならない。味はもちろんエビフライ味一択だ。他のことは、その後で考えよう。大晦日までコンポストとして使って、また大晦日には年越しそばの材料だ。今度はもうちょっと大きい奴を買ってもいいかもなあ。
まあ何にせよ、だ。
「今年も1年、頑張らんとな〜 よーし、やったんでー!」
私以外に誰もいない部屋の中で、今日から始まる1年に向けて、気合いを入れる。勢いに任せ天井に向かってガッツポーズなんて決めてみたが、なんだか気恥ずかしくなったので静かに手をおろした。バカなことをしていたら、お腹が膨れたせいだろう。なんだか眠くなってきた。テレビも電気もつけっぱなしな上、こたつで寝るのは非常によろしくないが、まあ今日くらいは良いや。自分に自分で言い訳をして瞼を閉じる。程なくしてやってきた睡魔に意識を手渡し、夢の世界に落ちていった。
その日見た初夢は、セヤナーと一緒にエビフライを食べる夢だった。
「セヤナー」
こたつに入りみかんの皮を剥きながらつぶやく私の声に、こたつの上で剥かれたみかんの皮を食べていたセヤナーが返事をする。みかんを一回り大きくしたサイズのセヤナーは、体のどこにそんなスペースがあるのかとツッコミたくなる勢いでみかんの皮を食べていた。時々、ウマイーと感想を言うのも忘れない。
テレビでは年末特有の年越しお笑い番組が流れており、名前は知らないがよくテレビで見るお笑い芸人がネタを披露していた。締め切った窓の外はすでに暗く、しんと静まり返っている。きっと、私と同じようにみんな家でテレビでも見ながらくつろいでいるのだろう。なんせ今日は12月31日、大晦日なのだから。
「あら、無くなってもうたか」
「ヤデー……」
こたつの人を飲み込んで離さない魔力は、みかんを装備することでその力を増す。テレビのお供にと時間を忘れて一心不乱に食べていた結果、山盛りに置かれていたみかんの山は更地へとなり果てていた。よく見ると、セヤナーの体が少し大きくなっていつもより丸みを帯びている。みかんの皮をすべて平らげたからだろう。食い意地の張った奴だ。いや、良いことだけども。
確か、実家から送られてきたみかんのストックはまだまだ大量にあったはずだ。こたつから離れるのは正直イヤだが、何も食べずにこのままテレビを見続けるのも手元と口元が寂しい。仕方ない、取りに行こう。よっこいせとこたつから抜け出た私は、そこでふと動きを止めた。私の目には丸くなったセヤナーが映っている。視線に気づいたのだろう。ヤー? と、不思議そうに私を見つめてくる。セヤナーから視線をはずし、テレビを見た。いつの間にかネタを披露しているお笑い芸人が変わっているが、現在時刻の表示はさっきまでと変わらずテレビの左上に表示されていた。
「あと30分か」
現在時刻は11時30分。ちょうどよい時間かもしれない。私は、行き先をみかんの入ったダンボールからキッチンへと変更した。
事前にほとんどの仕込みを済ませていたため、準備はすぐに完了した。大晦日に縁起を担いで食べる、歳末の日本の風物詩。今年一年の災厄を断ち切るという意味が込められた縁起物。年越しそばだ。家によって食べるタイミングが異なるらしいが、うちの家系では年を越しながら食べるのが伝統らしい。夜型人間の私のとっては、普段は食べないちょっと贅沢なお夜食と言ったところだ。まあ、贅沢と言っても例年は具が一切入っていない素うどんならぬ素そばだったが。
「ウチナー! ウチモナー! タベタイ ヤデー!」
お鍋からおそばを丼によそったとき、私の足元からセヤナーの猛烈なアピールが聞こえてきた。見ると、さっきまでこたつの上にいたセヤナーが私を見上げている。いつの間にか、キッチンに入ってきてしまったらしい。すでに体型が変わるほどみかんの皮を食べたというのに、まだ食べたいようだ。まあ、同じ量のみかんの、しかも中身を食べていた私が言えた義理ではないけども。だが、これを食べさせると言うのはできない相談だ。
「あかんよ。これは年越しそばなんやから。あんたは食べられへんで」
「ナンデー ウチナー ソバアレルギー チャウデー!」
どこでそんな知識を身につけてくるんだとツッコミたくなったが、セヤナーを常識の枠に押し込もうとすることがどれだけ無駄なことなのかはよく分かっている。そういうものだと受け入れるのが賢い判断と言うものだ。
「あんな、これはうちのお夜食やねん。あんたにあげる残飯とちゃうんや」
「デモ……デモ…… ウチモー タベタイー」
薄々食べさせてもらえないことを感じているのか、弱気になりつつなおも食い下がるセヤナー。なんだか可哀想になってきたし、これが普通のおそばならちょっとくらいは分けてあげても良いかなと思ってしまう。いやいや、そうやって甘やかすから今みたいに粘られてしまうんだろう。次のセヤナーはもっと厳しく躾ないといけないな。
「ええ加減にしとき。あかんもんはあかんねん。大体あんた、
年越されへんやん」
ピタッという擬音が似合いそうなほどきれいに、セヤナーの動きが停止した。人間も急に理解できない状況に直面したら思考が停止するが、どうやらセヤナーでも同じらしい。頭の上に?マークが見える気すらする。
「ヤ、ヤー? ……ナンデー?」
絞り出すような声で紡がれた疑問は、確かにもっともなものだった。でもまあ、わざわざ答える必要もないだろう。その理由は、これから身を持って知ることになるのだから。
私は屈み込み、そっとセヤナーを両手ですくい上げるように持って立ち上がった。急に持ち上げられたセヤナーは少し驚いたようだったが、何か勘違いしているのだろう、ヤデヤデーとご機嫌に鳴き始めた。そんなセヤナーを流し台に置き、蛇口をひねった。
「ヤッ! ツメタイー…… ヤー オミズー ヤデー♪」
体にかかった冷水について一瞬驚いたようだが、特に嫌がることなく自ら水をかぶり始めたセヤナーを手際良く洗う。あまり時間をかけるとセヤナーが水分を吸収してしまうから、ここは時間との勝負だ。洗い終わったセヤナーはキッチンペーパーで水気を拭き、まな板の上に載せた。
「オミズー モットー!」
なんだか抗議しているが、構っている暇はない。油の温度を音で確認しながら、セヤナーに小麦粉をすりこむ。
「ケホッ ケホッ ヤメテー クルシケホッ 」
小麦粉が入ったらしく、むせているようだがお構いなしに溶き卵にくぐらせた。口が卵でふさがったのか、セヤナーの声も聞こえなくなった。この小麦粉と溶き卵をつける作業をもう一度行い、最後にパン粉を中が見えなくなるまでまぶせば準備OKだ。油の温度は……よし、170度ジャスト!多分!
パン粉の塊と化したセヤナーを衣がはがれないよう慎重に持ち上げ、油が煮えたぎった鍋の前に移動する。なんで年越しそばを食べられないか、今から分かるよ。心の中でそう話しかけ、セヤナーを油の中にそっと落とした。
瞬間、今までふるえる程度の動きしかしていなかったセヤナーの体が激しくふるえた。
「アアアアアーーーーー! ヤアアアアアアアア!」
口を覆っていた衣がはがれたらしく、セヤナーの大きな鳴き声が室内に響く。熱した油の中にいるのだから、そりゃあそんな声も出るだろう。だが、鳴き声はそう長くは続かなかった。熱に強い野生種ならいざ知らず、品種改良されたセヤナーは熱に対して強くはない。沸騰した水程度なら耐えられても、170度の油の中ではさすがに生きてはいられない。鳴き声が消えた代わりに、今度はジュワジュワと衣が揚がる音が聞こえてくる。何とも食欲のそそる音だ。衣がきれいなきつね色になったのを見計らい、油から取りだしキッチンペーパーの上に置いた。程良く油を切って、さっき作った素そばに乗せて、私特製年越しセヤフライそばの完成だ。
作ったおそばを持って再びこたつに入る。さっきまでこたつの上にいたピンク色がいないのは少し寂しいが、どうせ明日になればまた新しいのを買うのだ。少しくらいは我慢しないといけないよね。そんなことより、今は作ったお蕎麦を早く食べたい。まずはセヤフライを一口かじる。さくっとした衣の中は、身の詰まったエビのような触感がした。うん、ちゃんと美味しく作れてる。死ぬと脱色融解するセヤナーだが、今食べているこのタイプは高温の油でしっかり火を通せば固まって中身が融けて出てくることはない。もちろん、火が通るまでは形が崩れないよう衣で覆うのが重要だ。口の中に味が残っているうちにおそばを一口。やっぱりおいしい。想像通りの味を作れたことに、思わずほうっと息がでる。妹からは、おそばにはエビ天だろうといつも言われるが、私はエビフライが好きなんだから仕方がない。
私がこの商品のことを知ったのは去年の夏頃のことだった。巷ではセヤナーの発見とペット化がものすごいスピードで行われ、いつの間にか日常の中にピンク色が動き回る光景が当たり前のものになっていた。それだけならば単にペットショップに並ぶケージの種類が1つ増えるだけの話だが、どうやらそれだけで済ますのは勿体ないと思った人がいたらしい。いつの間にか、セヤナーは食品売場やキッチン用品売場にも並ぶようになっていた。私が食べているこれも、元はキッチン用品売り場で買ったものだ。
コンポスト兼食用セヤナーエビフライ味。それが、私が今食べているセヤナーの商品名だった。
コンポストと言えば、家庭ででた生ゴミを堆肥にするあれのことを想像するかもしれない。だが、これは少し性質が違う。詳しいことは知らないが、元々何でも食べるセヤナーを、更に何でもかんでも食べられるように改良したものらしい。実際、うちでも野菜くずや消費期限の切れた生肉、みかんの皮などを処理させていた。正直、かなり便利だ。ゴミを処理させていた生き物を食べるなんて……と思われるかもしれないが、私はこのセヤナーに食べ物しか与えていない。言ってみれば、雑草を食べて育った牛の肉を食べるのと同じ……だと、思っている。そういうものだと受け入れるのが賢い判断と言うものだろう。とは言え、やはり一般的に食べるのは抵抗があるらしい。食品売場ではなくキッチン用品売場で売られていたのは、つまりそういうことなんだろう。かなり安かったし。
ゴーン ゴーン ゴーン
遠くで鐘の音が聞こえてきた。ふとテレビで時間を確認すると、いつの間にか時刻は0時0分になっている。どうやら、年が明けたようだ。テレビの中では、出演しているお笑い芸人たちが年が明けたことを過剰に祝っている。それを見ながらちゅるちゅるとおそばをすする。程なくして、丼の中は空になった。
テレビが見やすいよう、体を横にしてこれからのことを考える。とりあえず、明日は新しいコンポスト兼食用セヤナーを買いに行かなければならない。味はもちろんエビフライ味一択だ。他のことは、その後で考えよう。大晦日までコンポストとして使って、また大晦日には年越しそばの材料だ。今度はもうちょっと大きい奴を買ってもいいかもなあ。
まあ何にせよ、だ。
「今年も1年、頑張らんとな〜 よーし、やったんでー!」
私以外に誰もいない部屋の中で、今日から始まる1年に向けて、気合いを入れる。勢いに任せ天井に向かってガッツポーズなんて決めてみたが、なんだか気恥ずかしくなったので静かに手をおろした。バカなことをしていたら、お腹が膨れたせいだろう。なんだか眠くなってきた。テレビも電気もつけっぱなしな上、こたつで寝るのは非常によろしくないが、まあ今日くらいは良いや。自分に自分で言い訳をして瞼を閉じる。程なくしてやってきた睡魔に意識を手渡し、夢の世界に落ちていった。
その日見た初夢は、セヤナーと一緒にエビフライを食べる夢だった。
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コンポストにもなるとは、品種改良されたセヤナーはとってもクリーンな生き物ですね