セヤナー虐めwiki - ある元飼いセヤナーの末路
 早朝のまだ薄暗い都会の一角。その路地裏に、人目を避けるようにして汚れたダンボールが1つ置かれていた。
 長いこと風雨に晒されていたのだろう、表面に印刷された文字は霞んで読めない。横倒しになった汚らしいそれから、小さな音が聞こえていた。
 規則的な音、セヤセヤという鳴き声。よく聞くとそれは、セヤナーの寝息だった。中を覗けば、1匹の成セヤナーと2匹の子セヤナーが眠っているのが見える。
 どうやらこのダンボールは、この3匹の野良セヤナー家族の巣であるらしい。
「ンー…… ヤッ!」
 眠っているセヤナーたちの中の1匹が目を覚ました。親セヤナーだ。軽く伸びをし、睡眠で弛緩した体を伸ばしてからズリズリと巣から這い出てくる。
 一般的に、セヤナーの朝は遅い。夜の間に体温が下がり、体が動かしにくくなるからだ。十分に体が温まるまで、少なくとも日が昇るまでは巣の中で寝ているのが普通だ。にも関わらず、このセヤナーがまだ暗い時間帯に起きたのには理由がある。餌を探しに行くためだ。
 眠そうに目を細めているが、数回瞬きをして目をしっかりと開き、子供たちが眠っているのを確認してから餌を探しに行った。

 このセヤナーは、元飼いセヤナーだった。
 ペットショップで生まれ、子セヤナーだったときにかつての飼い主に買われた。ペットとして何年も暮らしていたが、成セヤナーになったとき、家に侵入した野良のダヨネーと勝手に子供を作ったことが原因で飼い主に捨てられてしまった。
 つがいになったダヨネーと子ダヨネーは逆上した飼い主にその場で殺されたが、セヤナーと子セヤナーは家を追い出されるだけで済んだ。長年飼い続けてきたセヤナーと、それと同じ姿の子供たちには情が湧いて手に掛けられなかったのだろうか。捨てられた飼いセヤナーが野良として生きていけるわけがない。だから、自分が手を下す必要はない……そう考えたのかもしれない。今となっては確かめる術はないが。
 実際、野良としての生活はとても厳しかった。
 虫や野生のエビフライの捕まえ方も分からない。巣の見つけ方も分からない。他の野良セヤナーと一緒に暮らせば少しは楽な生活ができたかもしれないが、飼いセヤナーだったときに散々野良セヤナーについての悲惨な話を聞かされていたから、共に行動することは躊躇われた。
 しかも、養わなければならない子どもが2匹もいる。普通に考えて、ペットとして生きてきた元飼いは1週間も生きられるはずがなかった。
 しかし、実際には元飼いはすでに1か月以上も生き延びていた。
 右も左も分からない野良生活だったが、それでも生き延びられてきた理由はただ1つ。知識の豊富さだ。
 元飼いは自分のことを、セヤナーのことを、そして何より、人間の恐ろしさをよく知っていた。
 人間が野良セヤナーのことをよく思っていないことを知っていたから、可能な限り人目につかないようにした。野良セヤナーたちは縄張りを持ち、彼らのテリトリーで餌を探している姿を見られたら無用な争いを生むことを知っていたから、彼らが起きる前に餌を探すようになった。
 人にもセヤナーにも見つかりにくい場所に、拾ったダンボールを置いて巣を作る。その付近にあるゴミ捨て場やゴミ箱を見つけ、そこを利用するセヤナーや人間の行動を把握する。
 およそセヤナーらしくないその頭の良さが、厳しい野良生活での生存を可能にしていたのだ。

 いつも餌を集めている場所の1つに到着した。今日は家庭用ゴミ置き場だ。
 元飼いは警戒するように辺りの様子を見回した。案の定、まだ他の野良セヤナーの姿は見えない。
 ここには毎週月曜日の朝に生ゴミの入った袋が置かれる。実際には前日の夜から置かれ始めるのだが、その時間は人間と鉢合わせる可能性が高い。早朝の方が安全に餌を探すことができる。
 しばらくするとゴミ収集車が来て回収されてしまうため、それまでに餌を確保しなければならない。
 ちなみに、他の曜日は食べらないものが捨てられるから注意が必要だ。
 以前、不燃ゴミの日にここに来て徒労を味わっている野良セヤナーを見たことがある。その野良セヤナーは破いたゴミ袋の中にペットボトルしか入っていないことに気づき、ナンデー、ドウシテーと鳴いている間に人間に見つかって叩き潰されていた。
 ぐずぐずしていたら他の野良セヤナーが来る。元飼いは、早速餌を集めにかかった。

 収穫は多ければ多いほど良い。食べ盛りの子どもたちのため、少しでも栄養の多い餌がたくさん必要だ。このゴミ捨て場では、比較的豊富に餌が取れる。野菜くず、卵の殻、焦げた肉や油のしみ込んだキッチンペーパーなどなど。ごく稀に見つかる弁当の食べ残しは大当たりだ。
 どれもペットだった頃は餌として認識していないものばかりだったが、今ではすっかり慣れてしまった。生まれたときから生ゴミしか食べていない子セヤナーたちも、それらを普通の餌だと認識して食べてくれる。
 結果的に、生まれてすぐ家を追い出されたのは子セヤナーにとっては幸せだったのかもしれない……捨てられた当時は考えもしなかったことだが、最近はそう思うことがある。
 生ゴミの中から食べられるものを手際よく選別しながら、元飼いはかつて住んでいた家のことを思い出した。今と違い、命の危険なんて微塵も感じたことのない家の中。あったかいお布団や美味しい餌、カブトムシのおもちゃは大のお気に入りだった。そして……
 今でも夢に見ることがある。
 元飼い主が作ってくれた、大好物のエビフライ。サクサクの衣の食感、香ばしい油の匂い。そして、他の何物にも例えられないあの味。
 もう2度と食べることはできないだろうその味を、元飼いが忘れたことは1日たりとてない。
 また食べたいなあ。でも、無理だろうなあ。せめて一度でいいから、オチビたちには食べさせてあげたかったなあ。いつもはこんなこと、餌を集めてる最中に思ったりしないのに。なんで今日は思ったんだろう?
「センチメンタルー」
 セヤナーの独白は、少し明るんできた空へ向かって誰に届くともなく消えていった。

「ヤデー ヤー……ヤッ! クンクン クンクン」
 ふと、セヤナーの鼻孔がかつて嗅ぎ慣れた匂いを感じとった。思わずゴミを漁る手が止まる。
 セヤナーの大好物。元飼い主がたまに作ってくれたご馳走。忘れるはずもない、エビフライの匂いだ。
 集めた餌を放り投げ、急いで匂いの元を探す。ゴミ袋の中から匂っているわけではなさそうだが……

 ……見つけた。

 それは、ゴミ袋の山から少し離れた場所にあった。
 黒いアスファルトの地面に、場違いなほど真っ白な丸皿が置かれている。さらにその上に、エビフライが3本盛り付けられていた。よく見ればソースまでついている。
 誘蛾灯に誘われる羽虫のように、元飼いはエビフライに引き寄せられた。
 ゴミ捨て場に、綺麗に盛り付けられたエビフライがある。人間が見れば不自然だと感じただろう。しかし、飼われていたときに皿に乗ったエビフライしか見たことがなかった元飼いは、それを異常だとは感じなかった。何より、子セヤナーたちにエビフライを食べさせたいという欲求が思考を鈍らせていた。
 ペットとしての記憶が、親としての感情が、そして何より、セヤナーとしての本能がこの状況に対する全ての疑問を消し去ってしまった。
 集めた生ゴミを放り出す。こんなものを食べさせる必要はない。だって目の前にご馳走があるのだから。元飼いはエビフライを皿ごと頭に乗せて、急いで巣に帰って行った。
「オチビー マッテテナー」

 元飼いが巣として使っているダンボールの中に入ったとき、子セヤナーたちは丁度起き始める時間だった。
「ンー……ヤッ!」「ヤデー」
 軽く伸びをして弛緩した体を整え、おはようのあいさつをする子セヤナーたち。
 元飼いは、この光景が好きだ。
 飼い主に捨てられたときは悲しかったし、野良としての生活は苦しい。だが、それでも生きることを諦めなかったのはこの子セヤナーたちの存在によるところが大きい。
 自分と、大好きだった野良ダヨネーの面影があるこの子たちの為ならば頑張れる。改めてそう思った。
 しかも、今日はもっと喜ぶ姿を見ることができるのだ。これから見られる光景を想像するだけで、弛緩する体を抑えられない。
「ヤー?」「オカーサン?」
 いつもなら挨拶をしたらすぐに返してくれるのに、今日はまだしてくれない。その上なぜか自分たちのことを見つめたまま柔らかくなり始める親セヤナーに、子セヤナーたちが首をかしげる。
「ヤッ! オハヨー ゴハンー ヤデー」
 視線に促され、元飼いの思考が現実に帰ってきた。あわてて体を整えておはようの挨拶を返す。そして、頭に乗せていたエビフライを皿ごと子どもたちの前に置いた。
「ゴハンー……ヤー?」「オナカー ペコペ……コ……?」
 いつものように朝の餌を食べようとした子セヤナーたち。その動きが止まった。
 生後約1ヶ月の子セヤナーたちは、まだエビフライを見たことがない。だが、種としての本能が、それの名前を知っていた。
「「エ、エビフライー!」」
 短いセヤ生の中で、初めて見るエビフライだ。本能から来る興奮を隠せない。驚き、喜び……あふれんばかりの感情を、子セヤナーたちはめいいっぱい飛び跳ねて表現した。それはまさに、元飼いが見たかった反応だった。
「セヤナー ユックリー タベヤー」
 親の言葉が終わらないうちに、子セヤナーたちは我先にとエビフライかじりついていた。
「「ウ、ウマイイイイイ! メッチャ ウマイイイイイイ!」」
 生まれてからずっと厳しい生活を強いられ続けていた子セヤナーたちが、ここまで喜びを露わにしたことは一度もなかった。子セヤナーたちにとって、餌とは生きるために摂取するものだった。当然、そこに楽しむ余裕などあるはずもない。
 だが、今は違う。ウマイウマイと鳴きながら一心不乱にエビフライをかじるその体には、あふれんばかりの幸福感が満ちていた。
 元飼いは、その光景をただ黙って見ていた。想像通りの、いや想像以上の光景だった。子セヤナーたちの喜びが自分にまで伝わって来る。
 あぁ、親になれて良かった。今まで頑張ってきて良かった。ピンク色の瞳に涙すら滲ませ、元飼いはこれからも頑張ろうと再度決意した。



 だが、それは叶わなかった。



 異常は、すぐに起こった。
「ゴチソーサマー」「ヤーデー……ヤッ?」
 生まれて初めてのご馳走に満足し、体を弛緩させていた子セヤナーたち。その1匹が違和感を感じた。
「ヤッ……ヤー?」「ヤッ……アッ アッ」
 もう片方もすぐに違和感を感じる。体の奥から湧き出る感覚、小石を踏んだときのような、硬い壁に体当たりしたときのような、ガラスの破片を飲み込んだときのような……
 そうか分かった。これは、"痛み"だ。
「オナカーーーーー! イタイーーーーー!」「イタイ! メッチャ マジデ! タスケテ」
「ヤッ!? ナ、ナンデッ!? ドウシテ!?」
 急に苦しみを訴え始めた子供たちに、元飼いは大いに慌てた。
 さっきまで美味しそうにエビフライを食べていた。何も痛くなるようなことはしていないはずだ。突然の事態に動揺した元飼いは、なぜ苦しんでいるのかと問いかけることしかできなかった。
 子セヤナーたちはその問いかけに答えるどころではなかった。認識した途端、痛みが猛烈な存在感を持ち全身を襲ったからだ。
 例えるなら、大きな石を投げつけられたような、高い場所からコクリートの地面に叩き付けられるような、ガラスの破片をダース単位で飲み込んだような痛み。それは耐える耐えないの次元などとうに超え、命の危険すら感じる激痛だった。
 動こうとすると全身がバラバラに引きちぎられるように痛む。だが、持続的に襲ってきている痛みがじっとしていることを許さない。鳴くと声の振動が鋭い針のようになって全身をかき回す。だが、断続的に襲ってくる激痛に思わず大声で鳴き叫んでしまう。
 少しでも痛みを和らげたいが、子セヤナーたちの小さな頭ではどうすれば良いのか分からない。
 その様子を見ている元飼いも、どうすれば良いのか分からずにいた。何とかしてあげたいとは思うのだが、何が起こっているのかが分からない以上、出来ることなどあるはずもない。こんなことは飼われていたときには1度もなかった。さっきまであんなに幸せそうにしていたのに、今は痛みに苦しんでいる。何故? 分からない。こんなの知らない。

 ペットとして教育され、ペットとして生きてきた元飼いの知識は、確かにそこらの野良セヤナーとは比べ物にならない。
 だが、ペットであるが故に知らない、知るべきでない知識もある。ペットとして生きてきた元飼いが知らないのは当然だ。
 セヤコロリの存在を知っていても、意図的に隠されていたから実物を見たことはなかった。
 だから、それがエビフライの形をしているなど、そんな邪悪なこと想像すらできなかった。
 もしも元飼いがもっと愚かだったならば。他の野良セヤナーたちと一緒に行動していれば、他のセヤナーの犠牲によってこの事実を知ることができたかもしれない。
 しかし、全てはもう手遅れだ。

 子セヤナーたちの苦痛は、そう長くは続かなかった。
「ナンデ……ドウシヴエェ」「ヤ゙ッ、ゲォエエエ」
 子セヤナーたちの体の拒絶反応が、エビフライの形をした毒物を体の中身ごと吐き出させた。
 食べた分のセヤコロリを全部吐き出しても拒絶反応は止まらない。すでに、子セヤナーたちが吐き出されているものは体の中身になっていた。
 長い長い嘔吐の末、体の中身を半分以上も吐き出し生命維持が不可能になった子セヤナーたちは、ついに脱色、融解して動かなくなった。
 子セヤナーたちは、最期は疑問の中で死んでいった。
「ヤ、ヤアアアアア! ナンデーーー!」
 脱色と融解、つまり死。元飼いの知識は、大切な子どもたちが死んだことを理解させた。
 自分の生きる意味だった子供たちが永遠に失われたことを、理解させた。

「アッ……アッアッアッ……アッ……」
 どうしてこうなったのか。何を間違えたのか。元飼いには分からなかった。今日は楽しい1日になるはずだったのに。子どもたちの喜ぶ姿が見れたのに。
 もう2度と、子どもたちと一緒に過ごすことはできない。あまりに残酷な現実に、思考が鈍くなっていく。
「アッアッ……アッアッ……アッアッ……」
 もう、何も考えたくない。

 子育てという生きる意味を失った元飼いは、子どもたちの屍の前でいつまでも鳴いていた。その鳴き声が途絶えるのに、そう長くはかからないだろう。