セヤナー虐めwiki - 餌付けの代償
「ウチナー エビフライー ホシイナー」
「はいはい すぐに用意するよ」
「ヤデー ヤデー!」
返事を軽く受け流しつつ、お望みの物を用意するために台所に向かう。冷たいままだと美味しくないだろうし、温めなおした方がいいよな。

ここは私の家の中。
都会でなければ田舎でもない、そんなどこにでもある街の、どこにでもあるアパートの一室だ。
今しがた、片言で会話していた相手はセヤナー。
上半分がピンク色で下半分がベージュ色、ファッションなのだろうか、髪飾りをつけたスライム。
近年発見されたらしい不思議生物だ。

先に断っておくが、私はセヤナーを飼っていない。
一人暮らしの貧乏苦学生に、ペットというのは過ぎた嗜好品だ。
かといって、友人からセヤナーを預かっているわけでもない。
そもそも、私の知り合いにセヤナーを飼っている者はいない。
厳密には、セヤナーを家に住ませている友人はいるのだが……あいつは絶対に“飼っている”とは認めないだろうな。

じゃあなぜ私の部屋にセヤナーがいたのか?
答えは単純、野良セヤナーだ。

夕食を食べ終わり、部屋でテレビを見ながらくつろいでいたら、開けていたベランダの窓から入ってきた。
ベランダからセヤセヤと鳴き声が聞こえたときは流石に驚いたが、そういえば野良セヤナーが家に不法侵入することが問題になっていると、いつだったかニュースで見たことがある。
まさか自分が当事者になる日が来るとは思ってもみなかったが、まあこういうこともあるだろう。
人間に対して危害を加えるような生物でないこともニュースで知っていたし、害がないならすぐに追い出す必要もない。
そんなわけで、この奇妙な訪問者をしばらく観察することにしたのだった。

実を言うと、私はこのセヤナーという生物に前々から興味があった。

動物好きで、いろんな動物を見たことがあるが、こんな変わった生き物は見たことがない。
さらに驚くことに、このナマモノは人間の言葉を喋ることが出来るらしい。
そのことを知っていたから、機会があれば喋ってみたいと常々思っていたのだ。
……まさか、初めての会話が不法侵入した個体に対する事情聴取になるとは思っていなかったが。

実際に話してみた感想は、“この生物は私の想像以上にお喋りだ”ということだった。
会話が出来ると言っても、せいぜい鳴き声に乗った感情が読み取りやすいとか、あるいはオウムのように声真似が上手いとか、その程度のものだと思っていた。
だが実際には、このセヤナーは確かに人間の言葉を話している。
片言で、どことなく関西弁調のイントネーションを解読するのは少々骨が折れたが、それでも言いたいことは伝わってくる。意思の疎通が十分に可能なレベルだ。

事情聴取の結果、このセヤナーが家に侵入した理由が判明した。
どうやら、目的は食料の調達だったらしい。
偶然この家の前を通ったところ、大好物の匂いがする。で、それに釣られて開いていたベランダの窓から入ってきた……とのことだ。
そういえば、夕食はエビフライだった。セヤナー達はエビフライが大好物だと聞いたことがあるし、それが原因か。
 
原因が分かったところで、さてこれからどうしよう。
こういうときは、痛めつけてから外に放り出すのが正しい対処法だと友人から聞いたことがある。だが、相手は仮にも言葉を話す生物だ。いくらなんでもそれは余りにも酷い。
人間に害を及ぼす生物なら、そういう対応も正しいのかもしれない。だが、少なくともこのセヤナーは食料を探しているだけだ。
私はエビフライの1本や2本をケチるような人間じゃない。
エビフライが欲しいのなら、分けて上げればよいじゃないか。

よし、決めた。明日食べようと思っていたエビフライだが、この出会いも何かの縁だ。
残り物だけど、欲しいというなら食べさせてあげよう。



そんなわけで、冒頭の会話に繋がったわけだ……おっと、そろそろ良いかな。
回想中にレンジで温めなおしたエビフライを持って、セヤナーのいるリビングへと戻った。

「お待たせ。エビフライだよ。」
「ヤー! ヤー!」
よほど空腹だったのだろう。
さっきまで大人しかったセヤナーが、持ってきたエビフライを見た途端に飛び上がって喜んでいる。
そんなに急かさないでもちゃんとあげるよ。

「ほら、お待たせ。味は保証しないけどね。」
床に小皿を置き、エビフライを1本置いてあげる。
置いた途端、セヤナーは今日見た中では最速の動きでエビフライに近づいた。
本当はソースもかけてやろうかと思っていたが、どうやら必要なさそうだな。

「ウマイー! メッチャ ウマイー!」
齧り付き、一口飲み込む。と、同時にリアクションするセヤナー。
嬉しいこと言ってくれるじゃないか。
そんなに褒められるとついつい甘やかしたくなってしまう。
本当は1本だけのつもりだったが、結局全部のエビフライをセヤナーにあげることにした。

「アリガトナー」
出されたエビフライを全て完食し、満足そうにお礼を述べるセヤナー。
なかなか礼儀正しいやつだ。
大好物をたくさん食べたことがよほど幸福なのだろう、表情も体も柔らかくなっている。
こうも喜ばれると、食べさせてあげた甲斐があったというものだ。

その後、セヤナーの喋り方にも慣れてきた私は、この軟体生物としばらくお喋りすることにした。
普段は近所の公園に作った巣に住んでいること。最近巣立ちしたばかりだということ。
巣立ちしてから食べた、初めてのエビフライだったこと。親セヤナーはエビフライを獲るのが上手だったこと。
いつか、所帯を持って子供達にエビフライを食べさせる夢があるということ……
セヤナーは、人間の友人からは決して聞けないような話を多くしてくれた。ほとんどがエビフライ関連の話だったが。
相互理解は友情の第一歩だとよく言うが、その通りだと思う。今日初めて会ったばかりの私とセヤナーは、一晩で友人になった。

楽しい時間はすぐに過ぎるもので、気付けば結構な時間話し込んでしまった。
セヤナーもそろそろ帰る時間だろうし、これ以上留めておくのは相手に悪い。
お土産に、好物だという板チョコを1枚渡して帰りを見送った。



楽しかったな。
セヤナーが角を曲がって見えなくなるのを見届け、窓とカーテンを閉めながらさっきまでの会話を思い出した。人間以外との言葉を使ったコミュニケーションは、想像していたよりも刺激的な経験だった。
もう少し生活に余裕があれば、ペットショップで子セヤナーでも買いたいと思ったほどだ。
もっとも、その金がないから無理な話なのだが……いや、でも生活をもっと切り詰めればあるいは……無理か。

それにしても、友人の言っていたことは間違いだったな。セヤナーが家に入ってきたらすぐに追い出せなどと言っていたが、そんな必要は全くなかったじゃないか。
もし友人を信じていたら、危うく楽しい会話の時間を失ってしまう所だった。
言葉も通じることもそうだが、知能もそれなりに高いんじゃなかろうか。

そんな相手を、駆除するとか問答無用で叩き出すとか、ちょっとひどすぎる。
あいつはきっと、偏見をもってセヤナーと接しているのだろう。ダメなやつだ。
ちょうど良いタイミングだし、明日会ったときに注意してやろう。
そうそう、明日は朝が早いんだった。そろそろ寝るか。



野生の動物にエサを与えてはいけない理由はいくつかある。
楽にエサをもらうことに慣れてしまい、自然の中でエサを探すことができなくなる。
栄養価の高い餌により病気にかかりやすくなったり、過剰な繁殖を引き起こす。等々。
当然、野生のセヤナーも例外ではない。
そして、このセヤナーも例外ではなかった。

「ウチナー エビフライー タベタイナー」
セヤナーは昨日のお兄さんの家に向かっていた。
エビフライをくれたお兄さん、セヤナーを家に上げてお話ししてくれたお兄さん。
今日もきっとエビフライをくれるはず。だって昨日はくれたから。

厳しい自然の中で生きる野生動物とは思えない、砂糖よりも甘いセヤナーの考えは、しかしすぐに裏切られることになった。

「オニイサンー アケテー」
お兄さんの家には程なくしてたどり着いた。
昨日と同じ場所に、昨日と同じ形の建物がある。
間違いない。昨日はここから大好物の匂いが漂っていた。
記憶力の悪いセヤナーだが、自分に都合の良いことは忘れない。
まして、エビフライに関することならなおさらだ。

ただし、昨日とは違うところが1つあった。
昨日は開いていた窓が、今日は閉まっていたのだ。
それに、なにやら布のようなもので覆われていて中が見えない。
それがカーテンであることをセヤナーは知らないが、とにかくまずは中に入らないと何も始まらない。

「ウチナー セヤナー ヤデー ヤデー」
中にいるはずのお兄さんに、自分がやってきたことを伝えるため呼びかける。
が、返事どころか物音ひとつしない。
誰もいないのだから、当然と言えば当然だが。

何度も呼びかけたが、何度やっても結果は同じだった。
人間であれば、留守なのだろうとすぐに判断できただろう。
だが、"お兄さんがエビフライをくれる"と信じてここまでやってきたセヤナーには、お兄さんが不在であるという発想がそもそもなかった。

「ウチナー! ウチナー! ヤデー!」
段々と呼びかける声が大きくなる。
何度呼び掛けても返事すらしてくれないお兄さんに対し、少しずつ不満が湧いてきた。
鳴き声にも、若干の怒りと非難の感情が混ざってくる。

なぜこんなに呼んでいるのに返事をしてくれないのか?
なぜ開けてくれないのか? 昨日はこんなこと無かったのに。理解できない。

セヤナーは人間の言葉を使う。
だが、それは人間と同じ知能を持つことを意味しない。
その知能は、この状況を自分に都合よく解釈した。

そうか、お兄さんはセヤナーに意地悪しているんだ。
「ヤー! ヤーッ!」
中にいるはずなのに、こんなに何度も呼びかけているのに返事すらしてくれないなんて。きっと部屋の中でこの状況を楽しんでいるに違いない。
そうと分かれば、意地悪なお兄さんには文句を言わなければならない。
その為にも、まずは家の中に入らなければならない。
そして、その為にはこの邪魔なガラスを破らなければならない。

考えがまとまった後の行動は早かった。姿勢を低くし、反動をつけて勢いよく窓ガラスに向かって体当たりする。
「イ、イタイイイイイイ!!」
しかし、セヤナーの柔らかい体から繰り出された渾身の体当たりは、窓ガラスに対してヒビ一つ入れることは叶わなかった。
逆に、硬いガラスに全力でぶつかったせいで全身に激痛が走る。
「ヤデー…… ヤデー……」

親の庇護から外れて間もないこの若いセヤナーは、硬いものに全力でぶつかる痛みを受けたことが今までなかった。
想像以上のダメージに襲われ半泣きになるセヤナーだが、のど元を過ぎた熱さは忘れられてしまうものらしい。

痛みが引いてきた。と、同時に沸々と別の感情が湧いてくる。怒りだ。
何故こんな痛い思いをしなければならないのか?
悪いのは意地悪なお兄さんなのに。

痛みに逆恨みしたセヤナーは、もはやここに来た理由すら忘れていた。
今、セヤナーの頭の中にあるのはこの窓を破ることだけだった。
さっき痛い思いをしたばかりの体当たりを何度も繰り返す。
当然、窓にダメージは入らず、逆にセヤナーの体どんどん傷ついていく。

このままではらちが明かないと思ったのか、それとも体当たりの痛みに耐えかねたのか、セヤナーはおもむろに近くにあった石を拾い上げた。
もみあげのように見えるピンク色の皮膚を器用に使い、持ち上げた小石を窓に投げつけた。
結論から言えば、結果は最悪だった。
「アアァアアアアァ!!!」
投擲された小石は窓に当たり、乾いた音を立てて跳ね返った。
その尖った部分を、セヤナーに向けて。

運が悪かったとしか言いようがない。
他の部分ならまだしも、よりにもよって小石が着地した場所はセヤナーの右目だった。
他の場所であれば、放置してもしばらくたてば治る程度の切り傷で済んだだろう。だが、その場所へのダメージは他とは質が違う。
今後、一生回復しないことが本能的に分かるそのダメージは、見た目以上に大きな傷となった。

「イ、 イタイイイィイイイ!!!!」
激痛。恐怖。萎縮。後悔……
様々な感情がセヤナーの中に溢れ出す。
出てくる感情が多すぎて、自分が今何を感じているのか分からない。

もっと早く諦めていれば良かった。
いままでだって、エビフライだけを食べて生きていたわけじゃない。
雑草なり虫なり、公園には食べることができるものが沢山ある。それらを食べていれば、今まで通りに生きていられたはずだ。
ほんの少しでも冷静であれば、これ以上の無意味な負傷を負うことは無かっただろう。
だが、餌付けされたセヤナーは既に冷静ではなかった。
エビフライをもう一度食べたい。
ただ、それしか考えることが出来ないようになってしまっていた。

どれだけの時間が経っただろう。
この家に来た時にはまだ空の高いところにあった太陽は、既に西の地平線に沈みかけている。赤く染まった夕焼け空は、そう時間をかけず暗くなるだろう。

セヤナーは、未だに窓の前に居た。
片目を失った後も、セヤナーは窓への攻撃を止めなかった。
その結果セヤナーが得たものは、ボロボロになった体と、窓に入った小さなヒビだけだった。
全身が痛い。体中に出来た切り傷も、数え切れないほどだ。
もはや体当たりどころか、動く体力すら無くなってしまった。
「アケテー…… オニイサンー エビフライー…… タベタイー」
それでも、弱々しく鳴き声を出す。もしかしたら、お兄さんが開けてくれるかもしれないから。

不毛な呼びかけは、鳴き声につられた野良猫がセヤナーを咥えてどこかへ持って行くまで続いた。



私が帰宅したのは、セヤナーの来訪があったあの日から数えて2日後のことだった。
以前から計画していた、友人との小旅行から帰ってきたのだ。

楽しかったなー。また旅行に行きたいな。
心地よい疲労感と、旅から帰ってきたとき特有の安心感を感じながら、頭の中ではもう次の旅行について考えている。
もっとも、貧乏苦学生に頻繁に旅行に行く余裕はない。次はしばらく先の話になるだろうが。

そうだ、この前エビフライを食べさせてあげたあのセヤナーがまた来たら、今回の旅の話を聞かせてあげよう。
我ながら名案だ。あいつはきっと、喜んで話を聞いてくれるだろう。
良くしゃべるスライムのことを思い出しながら、そんなことを考える。

そういえば、セヤナーのことで思い出したことがある。友人のことだ。
旅行中に、私が野良セヤナーにエビフライをあげて、楽しくおしゃべりした話を聞かせたのだが、そのときの友人の反応に違和感があった。
あいつの性格からして、そういうときはさっさと追い出せと教えたのに! ……などと文句の1つでも言ってくるだろうと思っていた。
なのに、むしろよくやったと褒められてしまった。おまえにもこっち側の才能があったのか! などと言われる始末だ。
あれはいったい何だったんだろうか。というか、こっちってどっちだ。

……まあ良い。元々あいつは変わった奴なんだ。理解しようとするのがそもそも間違いだろう。
そうだ、いっそ友人にあのセヤナーを会わせてやろう。そうすれば、あいつの悪趣味も治るかもしれない。
そうと決まれば早速予定を見ておきたい。次はいつ会えるだろう。

しかしあの日以来、私の家にセヤナーが来ることは無かった。
向こうは自然に生きる野生動物だ。
きっと生きるのに精いっぱいで、私のことなんか思い出す余裕はないのだろう。
少し寂しかったが、あのピンク頭が精いっぱい生きているところを想像したら、なんだかそれも仕方がないなと諦めることが出来た。
それでも、たまにあのセヤナーが入ってきたベランドの窓を眺めては、少し感傷に浸るのだった。


……窓の下の方に、石を投げてできたような小さなビビを見つけて凹むのは、もう少し先の話だ。