セヤナー虐めwiki - ある野良セヤナーの末路
「アノナー ウチナー ヤデー」
突然だが、僕は一人暮らしをしている。
何の変哲もない1DKのアパート暮らしだ。
何故急にモノローグみたいなことを言い始めたのかというと……

「エビフライー ホシイナー」
帰宅して早々、セヤナーに侵入されているという認めがたい事実に直面しているからだ。
こんな場面に出くわせば誰だって現実逃避のひとつもしたくなる。僕だってそうする。

体長は30cmくらいだろうか。
ピンクとベージュ色の皮膚、そして後頭部に見られるリボンのような飾りが特徴の軟体生物。
軟体生物と言っても、ナメクジというよりは潰れたスライムと表現したほうがより正確だろう。
そんな不思議生物が、僕の部屋を這っていた。

侵入経路はすぐに判明した。ベランダの窓が開いていたからだ。
しまったな、ここ3階だから油断してしまった。
セヤナーという生物は壁を登ることが出来る。
その為、防犯意識の低い高層階でのセヤナー被害が多いという話をテレビで見たことがある。
自分には関係のない話だと思っていたが、そういう発想が既にダメなんだな。
よし、反省した。明日からは防犯意識を持って生活しよう。

「エビフライー タベタイー チョコデモー エエデー」
人が脳内反省会を開いている間も、セヤナーは部屋の物色を止めない。
おっと、反省している場合ではなかったな。
幸い、部屋の中に大した被害は見られない。床に少し粘液が染みている程度だ。
この様子だと、侵入してからまだあまり経っていないのかもしれないな。
不幸中の幸いだ。被害が出る前にお引き取り願おう。

「ヤー?」
あ、目が合った。
「ヤー! ナンカ オルー!」
人の顔を見るなり騒ぎ始めるとは、失礼な奴だ。
……というか、扉を開けて入ったときに気づかなかったのか。警戒心のない奴だな。
まあ、警戒心については僕も人(?)のことは言えないけども。
僕という敵の存在に気づいたセヤナーの行動は早かった。
脱兎のごとく……と言うには少々物足りないスピードで、一目散に逃げ出した。
敵から逃れられそうな場所。そう、ベッドの下へ……って、ちょっと待て。

セヤナーはこの部屋への侵入に利用したベランダの窓からの脱走ではなく、部屋の中で隠れることを選んだようだ。
天敵から隠れることで生き延びてきたセヤナーという種の本能からの行動か、もしくは自身の速度ではベランダから逃げ切る前に捕まってしまうと悟ったのか。
どちらにせよ、ベランダから外に逃げてくれれば窓を閉めて全て解決だと思っていた男の思惑は見事に打ち砕かれることとなった。

まずいぞ。これは非常にまずい事態だぞ。
狭い場所に入り込んだセヤナーを無理やり引きずり出すのは困難だ。
粘液に濡れた柔らかい体は掴むのが難しい。それ以前に、そもそも触るのが嫌だ。
かといって道具を使って乱暴に動かそうとして、潰れたりなんてしたら掃除が面倒すぎて洒落にならない。

……ああ、考えるのも面倒になってきた。
もういっそ、窓を全開にしてしばらく放置したら勝手に出て行ってくれたりしないかな。
いや、それはダメだ。放置して部屋を荒らされでもしたらたまったもんじゃない。
どうしたものかな……あっ。

そういえば、こういうときの対処法をテレビで見たことがある。
必要な道具は……確か揃っていたはずだ。よし、試してみよう。
一旦、部屋を出てキッチンに移動する。


あったあった。良かった。
探し物はすぐに見つかった。
掃除用に100均で買ったポリバケツ、おやつとして買っていた板チョコ。
そして、緑色の容器と黄色いキャップが特徴的なポッ〇レモンだ。
本物のレモンの方が効果は高いらしいが、今回はこれで十分に事足りるだろう。
これで準備万端だ。


必要な道具を揃え、リビングに戻る。
流石にまだ警戒を解いていないらしく、セヤナーはさっきと同じ場所に隠れているらしい。
まあその警戒心も今から消えることになるけどね

僕は持ってきたバケツを床に置き、板チョコの包みを開けた。
カカオ特有の甘い香りが放たれる。
放たれると言っても微かなものだが、効果は抜群だった。
「ヤー? チョコー!」
ベッドの下からセヤナーが這い出てきた。

うわっ埃かぶってる。そろそろ部屋の掃除しないとなあ。
「アノナー ウチナー タベタイー!」
全く警戒心を見せず足元まで近寄ってきたナマモノ。
その視線は僕の手元……の、チョコレートに釘付けだ。
そうかそうか、そんなに食べたいか。ではくれてやろう。
僕はそれを床に置いたバケツの中に落とした。

「チョコー! チョコー!」
予想通り、落としたチョコを食べようとバケツの中に入っていく。
先ほどまでの警戒心は何処へ行ってしまったのか。
まあ、大好物のチョコレートを目の前に出されたのだからこんなものだろう。

このままバケツごと外に放り出しても良さそうかとも思ったが、もし暴れ出したら面倒だ。
念には念を入れるということで、持ってきたポッ〇レモンのフタを開けた。
バケツの中のセヤナーは板チョコに夢中らしく、こっちに注意を向けていない。
僕は、中身をバケツに向かって流し込んだ。

「ヤッ!」
緑色の容器から流れた白い液体がセヤナーにかかると同時に、板チョコを食べている動きが止まった。
変化はすぐに起こった。
一瞬、セヤナーの輪郭がぼやけた。かと思うと体が波打ち始める。
「スッパイー」
だろうな。ポッ〇レモンだもんなあ。

詳しいことは知らないが、こいつらセヤナーはすっぱいものを吸収すると体が柔らかくなるらしい。
柔らかくなった体は動かしにくいらしく、この状態になるとほとんど動かなくなってしまう。
少なくとも、バケツから出ることは出来ないだろう。
しかも吸収したすっぱい成分を吐き出せば元に戻るらしく、殺したり痛めつけたりするわけじゃないから罪悪感も無くて済む。
どんな体の構造してるんだとツッコミたくなるが、便利だから別にいいや。

「セヤナー」
セヤナーがすっかり溶けきったのを確認し、バケツを持ち上げた。
よし、暴れないな。ちょっと重いな。
バケツの中は、溶けたセヤナーで半分くらいまで溜まっている。
あとはこれを外まで持っていけばミッションコンプリートだ。
……一瞬、台所の流しから捨ててしまおうかとも思ったが、詰まりでもしたら洒落にならないから止めた。
こういうとき、高い階に住んでいるのを不便だと感じてしまう。

そんなこと考えている間に地上に到着した。
さて、降りてきたのは良いがどこに捨てようか?
あまり近い場所に捨てて、ポッ〇レモンが抜けたときにまた戻ってきては困る。
かといって、溶けたセヤナーの入ったバケツを持って遠出するのはなんか嫌だ。

ふと、道の端にある側溝が目に付いた。
この辺りの側溝は底が浅い代わりにフェンスが付いていない。
大雨の日などは氾濫を起こすが、そうでない日は水深数センチ程度の排水が流れているだけだから必要がないのだろう。
今日もいつも通り排水が流れていた。

……よし、ここにしよう。
側溝に近づき、バケツの中身を流していく。
「ヤーデー」
この程度の流れなら溺れる心配はないし、下流の方まで流れて行ってくれるだろう。
動けるようになった頃には遠くに行っているはずだ。
なんだかゴミの不法投棄みたいで少しバツが悪いが、家に入り込んだ野生生物を自然に返しただけのことだ。
何も悪いことはしていない……はず。
頭ではそう思いながらも、やっぱり周囲の視線が気になる。
近所の人に見つかる前に、そそくさと部屋に帰った。



「ウチナー セヤナー ヤデー」
側溝に流されたセヤナーは、途中詰まるようなこともなく順調に流れていった。
しかし、男の予想通り遠くまで流れていくことはなかった。

側溝を流れる水は、地下に埋め込まれた排水管へと流れていく。
複数の排水管は集水桝と呼ばれる場所で合流し、より大きな排水管へと流れて最終的に下水処理場へとたどり着く。
溶けたセヤナーは、排水管から続く一番手前の集水桝に溜まっていた。

「ウチノー ウチヤナー」
上の方に見えるコンクリート製の蓋からはほとんど光が届かないため、底の方は薄暗い。
この薄暗さと流れる下水による湿気はセヤナーにとって心地よいらしく、ここを自分の巣に決めたようだ。

溶けていた体は徐々に固さを取り戻している。
おそらく、そう時間をかけずに元通りに動けるようになるだろう。
そしたらまた食料を探しに行こう。そんなことすら呑気に考えていた。
呑気なことを考えていたせいだろうか、セヤナーはその鳴き声に気が付かなかった。

キーキー ジッ
ジュ チュー
体長は20cmくらいだろうか。
茶色い体毛に長い尻尾、小さい耳という特徴を持つそれは、ドブネズミと呼ばれる生物だ。
彼らは十数匹の群れで巣を作り、生活している。
暗く湿気の多い場所を好み、名前のとおりドブに棲むネズミとして有名だ。
どうやらこの辺りの排水管は彼らのテリトリーだったらしい。自分達の巣に侵入した異物を察知して偵察に来たようだ。

「ヤー?」
ふと、自分を見ている複数の視線に気が付いた。
視線の主はすぐに分かった。排水溝から顔をのぞかせているネズミ達だ。
「ネズミー タベタイナー」
セヤナーは肉食だ。このセヤナーもネズミを食べたことが何度かある。
その為、自分の周囲にいるネズミ達を見て食料が向こうからやってきたと認識してしまっていた。

セヤナーは2つのことを知らなかった。
1つは今までに自分が食べたことのあるネズミは死んでいたということ。
そしてもう1つは、生きたネズミと遭遇したセヤナーはほぼ確実に捕食されるということだ。
自然に生きる野生のセヤナーならば、あるいはこの事態を生命の危機だと正しく認識できたかもしれない。
しかし、野良セヤナーの鈍い機器察知能力ではこの状態を死の危機だと認識できなかった。

おかしい。この状況はまずいかもしれない。
気づいたときには手遅れだった。
周囲にいるネズミ達、食料であるはずのそれらが自分に向ける視線は、明らかに餌に対するそれだった。
おかしい。何故食料であるはずのネズミ達にそんな目を向けられなければならないのか。
「ウ、ウチナー!」
鳴き声で威嚇する。ポッ〇レモンが抜けつつあるとはいえ、まだ満足に動けないセヤナーに出来る最大限の抵抗だ。
もっとも、仮に万全の状態であったとしても同じことしかできなかっただろうが。

精一杯の反抗は、しかし何の意味もなかった。
鳴き声に反応したかのように、1匹が飛びついた。
柔らかいセヤナーの肌に齧り付く。
「イタイィィィィ!!」
激痛が走った。
ネズミの固い歯で噛み千切られた痛みと自身の一部が失われた喪失感。
抵抗しようなどという感情は一瞬で消え失せた。
しかし、逃げようにも体はまだ動かない。
悲鳴がトリガーになったのか、他のネズミ達も一斉に襲いかかる。
「ヤメテー! ユルシ……」
悲鳴は最後まで続かなかった。
ここに、ネズミの行動を阻止するものは何も無い。
もはや、そこにいるのはネズミ達とその餌だけだった。



最近、都市部でのネズミの被害が増えてきています。この原因として、ネズミの食料になるものが増えているからだと専門家達は警告を――

へえ、ネズミが増えているのか。
テレビではネズミ被害についてのニュースが流れている。
この前はセヤナーに侵入されたけど、ネズミに侵入されるのも嫌だなあ。
でも、うちは3階だから被害にあうことは無いかな?
いや、そういう油断が悲劇を招くんだ。同じ轍はもう二度と踏みたくない。
今度はちゃんと対策しないとな。