セヤナーを虐めたりいじめたりイジめたりしたい

ぐにっ さくっ
「イ、イタイイイイイ!」

セヤナーを端から包丁で刻み始めて、今3センチの地点に到達した。柔らかいセヤナーを1センチ幅で切るというのは難しいように思われたが、実際に包丁を立ててみると意外と弾力があり、力を加えるときちんと計測通りに切ることができた。切り進めるにつれて、セヤナーの抵抗も激しくなってきたが、セヤナーに打ち込んだ針はびくともしない。使う予定だった接着剤を切らしてしまい、逃げられてしまうかとも思ったが、杞憂だったようだ。

ぐにっ さくっ
「イタイー! タスケテー アオイー!」

 これで4センチ。セヤナーを針で板に縫いとめるのは骨が折れた。もちろん、大きな針で脳天から串刺しにすれば簡単だ。でも、それではつまらない。こうやって、自分の手で少しずつ少しずつ生き物の命を奪う感覚を味わいたかった。そのために、板に縫いとめるのにも工夫をこらした。セヤナーの表面は、ほとんど痛覚がない。石を踏み越える度に痛がっていたら不便だろうから、考えてみれば当然の話だ。その痛覚が少ない、いわば皮の部分に針を打ち込んだ。おかげで今、新鮮なリアクションを聞くことができる。

ぐにゃっ さくっ
「イタイイイ! ユルシテー! タスケテー!」

 こんなことをして楽しむ自分は、ひょっとして異常なのだろうか。いや、そんなはずはない。誰しも破壊衝動とでも呼ぶべき本能が備わっていて、それが今はセヤナーに向けられている。それだけだ。例えば海外では、高い電子機器を業務用ミキサーにかけて、文字通り粉々にする動画が人気だという。誰しも、意味もなく目の前の物を壊したくなった経験があるのではないだろうか。怒りに任せて、ですらない。何の前触れも、理由すらもなしに、だ。少なくとも自分にはある。子どものころから、高速道路に乗ると、無性に携帯ゲーム機を窓から放り投げたくなる。自分だけだろうか。やはりひょっとすると自分は異常なのかもしれない。

ぐにゃっ さくっ
「イタイ! イタイイイ!」

理由や前触れなく、と言ったが、本当は理由のようなものはある。といっても、最近仕事がうまくいかないとか、彼女が最近俺の友達と不自然なほど仲がいいとか、他人からしたらどうでもいいような理由だ。他人からしたら、だが。そして今日ついに、セヤナーショップに行ってきた。店員のお姉さんは、大人しくて手間がかからないという個体を勧めてくれた。疲れ切った表情をして入店したから、セヤナーに癒しを求めて来たように見えたのだろう。その推測は当たりではないが間違ってもいない。そして、店員さんには悪いが、口数が多くて体の大きいやつらを買って来た。

ぐにゃっ ざくっ
「イタイー! ヤー! イタイー! タスケテー!」

 これで7センチ。目算で横幅の3割弱といったところだ。といっても、山のような形をしたセヤナーを端から切っているから、体積的には1割以下だろう。そろそろ切るのにも力が要るようになってきた。体重を乗せて、押しつぶすように切っている。骨があるわけでもないのにどうしてこんなに丈夫なのだろうか。だが、切り始めに比べて、明らかに弱っている。声にも動きにも力がない。思ったよりも弱り始めるのが早かったが、人間に同じことをすればとっくにショックか失血で死んでいるわけだから、やはり丈夫だ。

ぐにっ ぶじゅっ
「ヤアァァァァァァァァ!イタイィィィィィィィ!」

 ついに、一息に切り落とすことができなくなってしまった。包丁がセヤナーに埋まってしまっている。やはりそれなりの刃物を用意するべきだっただろうか。中途半端に切れたことで、逆に今まで以上の痛みを生んだようだ。死にかけているというのに今までで一番の叫び声だ。ギター練習用の小型防音室でなければ、お隣さんから通報されていたかもしれない。しかし、そんなこと今はどうでもよかった。セヤナーの一際大きな悲鳴で、改めて生き物の命を奪っているという実感が湧き、今までに感じたことのない高揚感に包まれていた。どうしよう。もう一撃で殺してしまおうか。いやそれはもったいない。やはりこのままゆっくりとなぶるべきだ。いや、そうこうしている間に死んでしまう。いやその衰弱していくような死に様が・・・。

がつん!
「ヤッ… ヤー…」

 しばしの葛藤の挙句、選んだのは力任せに真っ二つにすることだった。最初はゆっくりと楽しむつもりだったのだが、この高揚感に抗うことはできなかった。セヤナーが白く、柔らかくなっていく。絶命した証だ。ついにこの手で、セヤナーの命を奪ったのだ。
1つの命を奪った自分に胸に込み上げてくる感情は、高揚感でも、背徳感でもなく、意外なことに、安心感だった。まるで寒い日に湯船につかった時のような、毎年楽しみにしている小説の新刊を読み切ったときのような、幸せな安心感だった。なぜだ。自分でも理解できない。
 この謎の安心感の理由を確かめるためにも、次の準備にとりかかる。

「ヨ…ネ…」

 目の前でセヤナーが殺されるのを見て、ただでさえ青い顔がさらに青くなっている。そう、セヤナーショップで買って来たのはセヤナーだけではなかった。セヤナー1匹では満足できないであろうことは分かっていたので、あらかじめおかわりとしてダヨネーも用意しておいたのだ。通常、セヤナー飼育初心者に、わがままな個体が多いセヤナーの多頭飼いは推奨されない。しかし、ダヨネーと同時に飼うのはむしろ奨励されている。セヤナーとダヨネーはすぐに仲良くなる習性があるため、2匹一緒にしておくと逃げられたり不満を言われたりすることが減るからだ。そんなわけで、セヤナーショップの店員さんにとやかく言われないために、ダヨネーをえらんだ。このダヨネーも、針で板に縫い止めてあり、さらに接着剤で完全に固定している。暴れられる中でなんとか接着剤で板にくっつけることには成功したが、おかげで用意していた接着剤を使い切ってしまった。

「ヨ、ヨネー!ヨネー!」

 ダヨネーと目が合った。次は自分の番だと思ったのだろう。精一杯の威嚇しているつもりだろうが、声は震えているし、何よりこの状態でまともに抵抗できるはずもない。ダヨネーを板ごと持ち上げ、防音室を出ると、台所に向かった。そこには、あらかじめ水を張っておいた水槽が1つ。しかも、ダヨネーを固定している板がちょうど中に入る大きさだ。その水槽の上で、板ごとダヨネーをさかさまにしてみる。

「ヨネエエエエエ!ヨネッ!ヨネエエエッ!」

 どうやらこの後どうなるのか理解できたらしい。体をあらんかぎり動かしているが、接着剤のおかげか、まったく板から外れる様子はない。これで、万が一にも助かるということはないだろう。もしそうなってしまったら興醒めもいいところだ。板に固定したダヨネーを逆さまにし、水を張った水槽に入れる。水生のダヨネーもいると聞くが、そんな珍しい種ではない。当然、水槽の中で暴れるわけだが、水槽の大きさにぴったりの板を選んだので、どんなにもがこうと板をひっくり返したり息継ぎをしたりはできない。水に入る前に、体をわずかに大きくして、できるだけ空気を吸い込んだようだったが、こんなに暴れてはすぐに酸素を使い果たしてしまうだろう。ダヨネーが死んでいく。今度は、ただ溺れるのを見守るだけだ。しかし、この絶望的な状況においても必死に命をつなぎ止めようとするダヨネーは、見ていてたまらなく愛おしかった。
 そして、ダヨネーの動きが鈍くなるころ、ふと思い至った。今再び感じつつある謎の安心感の正体についてだ。これは、間違いなく死ぬ状況にあるセヤナー達を見て、逆に自分は絶対に安全な場所にいるということを無意識に実感していることから来るのではないだろうか。人間は、物事を相対的にしか見ることができない。突然死ぬことなんて病気か災害くらいしかない今の日本で、そんな安定した世の中そのものに安心と幸せを感じる人は皆無だろう。理不尽に命の危機にさらされる人がいてこそ、その幸せを噛みしめられる。そしてそれは、普段気付かないだけで、何にも代えがたい喜びなのだ。それこそ、日々の細々としたことがどうでもよくなるくらいには。だから、また近い内に自分は同じようにセヤナーを買ってくるだろう。その時は、怪しまれないように店を変えよう。そして、よりセヤナー達を苦しめながら殺める方法を用意しよう。この安心感をより強く感じるために。そんなことを考えながら、徐々に白くなるダヨネーを、例えようのない充足感と安心感の中で見つめていた。
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